読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

超ホモ・サピエンス日記サテライト。

このブログはノンフィクションです。

げげげ。

f:id:minervarecord:20151221060236j:plain

 

水木しげるさんのことは、青林堂のガロを読んでいた20代くらいの頃、初めて若いころはすごく苦労されていたんだと知った。

 

私は1976年生まれですが、この80年代に子供時代を過ごした人間にとって「げげげの鬼太郎」というのは、すでにポップな存在だったんですね。

アニメのなかで当たり前にメジャー。だから、水木しげるさんの事をよく知らなかった。

 

高校生以降のわたしは、メジャーなものなんて…。みたいな、いわば【若者が自我の目覚めのときに一斉にかかる例の阿呆の熱病】のころだったので、もっとマイナーなものとか、インディーズとか、アンダーグラウンドとかの方に、ごきぶりほいほいに引き寄せられる、ごき状態でまっしぐらに行っていました。

 

それは、いまでもすごく大切な大切な体験ですが、そのあと社会に出るとちょーっと、また変るんですね、今思えば。

 

30歳に差し掛かるころには、多くの人に届くものを創ることの大変さ、その過酷さに、改めて感じいるようになりました。

 

たとえば、アンパンマンやなせたかしさん、いわずもがな宮崎駿さん、長谷川町子さん、藤子・F・不二雄さん、まああげればキリが無いんですけど、結局、なにがいいたいのかというと、それしか出来ない人は、それでご飯食べていくしかないんです、多分。んで、みんな結構パンク。生き方が。

 

だから、それしか出来ないそのことで、なんとかお金稼がないとご飯食べられない。で、売れないとご飯食べられないから、必死。で必死でやるのは何の為かって言ったら、やっぱり次も作品作りたいから、今回やってることに当たってもらわなきゃ、次が創れない。んで、やっぱり目の前の事に髪振り乱して死んでもいいってひたすらやっていくしかなくて、んで、永劫にその繰り返し。

 

で、やっぱり売れるか(評価されるかどうか)は、そもそも運なんで、評価されるのは嬉しいけど、それはもうとにかく次できるかどうかが問題で、終わったことはどーでもいいというか、もう自分の手を離れちゃうし。

 

で、自分のやりたい事と人々が求めてくるものが一致するかどうかもわからないし。

っていう中で、ただただひたすら「前に進むだけ」やってると、もちろん努力なんてめっちゃしてるんです、ていうか、しようとなんてしてなくても、勝手にする。

だって、ご飯食べたいし、子供に布団掛けたいし、それは成功や名声とかまじでどーでもいい。全く次元の違うお話なんです。ただ、お金がほしい。

 

でも、そんな死んでもいいと思って、人生最高の「努力」をした時でも【結果は出ない。】

それが、事実。

 

努力と結果は、比例しない。全く関連性など無い。

ほんとうの天才でも、いや、本物のアーティストであればあるほど、おそらくそう。

 

それでも、それしか出来ない人間はカタワであり、カタワを認め、カタワである事を誇れ。それこそが、あなたを、あなたたらしめる。素晴らしい存在意義です。

 

広告を非表示にする