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超ホモ・サピエンス日記サテライト。

このブログはノンフィクションです。

ネット。

インターネットって面白いと思う。

だって、無かった時代には絶対ありえなかった出会いがあるのだから。

大人になっても、実際に自分の生活の行動半径と、人間関係の延長でしか知り合うことが出来なかった時代には、ある程度は相手のバックボーンやどんなひとなのかっていう人となりを、知りつつ知り合うし、知り合いながら、知っていく。

 

子供のときは、さらに限られた狭い世界の中でしか、人と友達になったり出来ない。

 

でも、大人になると好きな人と知り合うこと、友達になることが可能になる。

それにさらプラスして、今はインターネットを介して、沢山の人の言葉を聞くことが出来る。

 

自分が孤独の淵に立たされているとき、同じような境遇の人の力強い言葉を読んで、パワーを貰ったり、救われたり、元気付けられたり、賢くなったり、いろんなささやかだけどドラマがある。

 

たとえ、会ったこと見たことのない相手でも、言葉の持つ力ってすごいもんだぜ。

 

どんな形でも、出会いは貴重なんだから。理想論って言うのは言われなれてる。私の性質は変えようが無いぜ。そういう言葉しか吐けないんだから。それにさ、一期一会ってさ、ほんとうにほんとうなのにな。

 

テレビやメディアから「頂く」情報ではなく、いまは自分の能力でその情報の取捨選択が出来るんだ。それは、いいことじゃん?

 

あとさ、難しく言葉を駆使して鼓舞するより、中学生にも伝わる言葉で「すごいこと」を伝えられるの方が、なんかあとあと未来があると思うね。

 

むかしむかし、小沢健二氏が何かのインタビューで

【音楽の専門家がこ難しい専門用語で批評することと、そこらの女子高生が「これってなんかいいよねー」っていう表現で、言わんとしている何かは多分、同じ事を言っていて、僕は女子高生の「いいよねー」って言う方が嬉しい】

とか言うような趣旨の事を言っていたのを記憶している。

 

難しい言葉や専門用語でまくし立てて、相手を威圧する方法というのは、かねてよく昔から使われてきた手法だけど、100年、200年、時の洗礼を経て残るものは「その本質」が重要であるから、残る。

 

枝葉は残らない。枯れて落ちるし、幹だけが重要だ。

 

人間だけでなく、命あるものは必ずいつか終わりが来るし、形のあるものは変化する。自分自身のことだって、信じながら疑うくらいで丁度いいと思う。

 

無責任な言葉は、簡単に他者を傷つける。

そして、馬鹿にしてやろう、相手を貶めてやろうなんて意図の含まれた言葉の羅列には、何の生産性も感じられないどころか、見ていて大変不快だ。それは、事実に対しての意見ではなく、本人の感情をその事実を利用して発散しているに過ぎない。

それはもはや、批判とすらいえない。ただの暴力だ。

 

子供だって、本質を見抜く。

あなたの言っていること、やっていることは、たとえこの文字の羅列の中からだって、透けて見えてくる。

しばらく眺めてさえいれば、言葉にはその人となりが浮かび上がってくるのだから。って、また抽象的だな、おい。

 

ということで、わたしはすごーく変てこな人ですだ、ばればれ。しょうがないよね。そういう人に生まれちゃったんだし、育っちゃったんだからさ。

これで生きてこれで死ぬぜ。なんにも、文句いわせねー。

しかし、あたしゃーツイッター向いてないね。短すぎ。

ああいうのは、コピーライティング能力にたけた人がやるもんだな。

 

それにしても、この12月、いろんな人が公職を辞した気がしてる。

橋下氏、乙武氏、自分の身近な人、なんかそういう星回りなのか・・・

 

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