超ホモ・サピエンス日記サテライト。

このブログはノンフィクションです。

心がやさしい とか 繊細 とか。後編

 

bylines.news.yahoo.co.jp

 

その後、普通に日常生活に戻った・・・はずだったけど、少しずつ彼女の態度がとても、なんというか不自然になっていくようになって。

 

なんといえばいいのでしょうか。人間て多分、自分の心にとどめているうちは、そのことを「秘めて」居られると思うんですけど、いったん「開陳」してしまうと、どんどんエスカレートしていってどんどんどんどん開陳したくなるのではないか・・・。そんなことを考えました。

 

彼女は、だんだん私を束縛したいようなそぶりを見せ始めました。それは「今までどおり」の友達関係というわたしのイメージとは遠いものでした。

 

遠くからじっと見つめる、手を握る、私と仲いい子に嫉妬の目を向ける。などなどいろいろ。で、これらすべてひっくるめて思春期の揺らぎなんですね。

ぜんっぜん、レズビアンとかではない。思春期のいわゆる恋だかなんだかわかんないのに酔っちゃって恋だと思っている状態。

 

それは、わかっていました。でも、私はだんだん疲れてきた。

学校に行きたくない。でも行かないわけには行かない。彼女に会いたくない。でも、私は「これまでどおり」と約束してしまった。自分の言った事なのに、それを実行できない。私たちは3年間、クラス替えなし。同じクラスなのです。このさき、2年もこの状態が続くなんて耐えられない。どうしたらいいかわからない。どうしたらいいかわからない。

 

それでも、笑顔で彼女に対応していました。嫌いなわけじゃない、でも・・・

 

半年が過ぎました。一体なにがあったのか、おぼえていないのですが、おそらく私の態度に彼女は傷ついたのでしょう。無意識が表面に出てしまったのかもしれない。でも遅かれ早かれ、いつかそうなったのだろうと。のちのち思いました。

しばらく距離をとるような感じで居ました。そんなある日、一週間、彼女が学校を休みました。私はその間、やきもきやきもきしていました。でも、ほんとうに病気なのかもしれないし…でも、今までこんなこと無かったし…

 

一週間後、登校してきた彼女をみて凍りつきました。彼女は左手首に包帯を巻いていた。「どうして!?」・・・・もうやめて。おねがいやめて。

 

本格的に学校に行きたくなくなっていた。でも、行かないわけには行かなかった。だって、行くのが当たり前だし、行かないなんて思いつかなかった。当時はほぼ記憶が無いです。とにかく機械的に学校に行っていた。

 

そして、彼女の話をそのときよく聞いていた(ようにみえた)共通の友人が、ある日、私に声を掛けました。「白鳥有紀さんが、そんな人だとは思わなかった」

この言葉を聞き、私は他者にたいして産まれて初めて、ぶち切れるという体験をしたんだと思います。はらわたが煮えくり返った。

「彼女の話を聞いて、あなたがそう思うなら、それでかまわない」

別に怒鳴ったわけじゃない。静かにそう言いました。

その子は、黙っていました。

 

私は獣医になるつもりで、この学校のこのクラスに進学しましたが、このころは成績が急降下していました。で、そんなことはどうでもよかった。何もかももうどうでもよかった。勉強はしなかった。音楽ばかり聴いていた。

「私はヒトと関わっちゃいけない人間なんだ」

こどものころから自然にヒトと接してきた。特に何も考えなかった。

考える必要も無かった。呼吸するように、ヒトの中にはいって行ってた。

 

わたしに悪意は無かった。誰かを傷つけようなんて、思ったことも無かった。

ましてや、彼女を苦しめたかったわけではない。

でも!でも!彼女は「私のせいで」自殺未遂をしたんだ!!!!!

 

人間って、なんてちょうめんどくさい存在なんだ。もううんざりだ。

もし、間違ってほんとうにそうなってしまったら。私は一生それを背負うんだ。

 

彼女が悪いわけじゃない。傷つけたのは私なんだ。

でも、それってすごくなんだかずるい。私だったら、こんなことしない。

 

その後、高熱が出て、一週間学校を休みました。

リンパが腫れて、40度の熱がさがらなかった。

 

だれにも、言えなかった。なぜなら、私は加害者だから。

でも同時に、分かっていた。私も被害者だし、自分を守る権利はある。

 

そして、腹に決めた。誰とも話さない。誰とも一生関わらない。表面的に感じのいい人間になる。でも、だれにも心を許さず、絶対に親しくならない。好かれるような事態も回避する。仕事は獣医であれば、人間との接点は最低限だろう。なんとかなる。お母さんに学校に行きたくないなんて、絶対言わない。そ知らぬ顔をして、今までどおりを卒業までやる。親に心配は掛けたくないから。

 

静かに復活して、学校に行き、休み時間はずっと本を読んで、誰とも話さない。バンドも部活も全部やめて帰宅部。話しかえられたらこたえるけど、自分は極力避ける。一番大事なことは「学校に行き続けること」それだけが重要だ。それ以外はどうでもいい。ただひたすら、それだけに集中して・・・

 

そんな高校生活を、高校2年の春から卒業までやりきった。

 

のちのち、ふりかえってみると、あれは「心のひきこもり」だったと思います。

絶対に、正常な健康な高校生活ではないし、たぶん、音楽という「のめりこむ対象」がなかったら、私はもっと壊れていたと思う。

 

そして、なにより動物と接しているときだけは、緊張がほぐれた。

だって、彼らはストレートで、なにも裏が無くて、ほんとうの思いしか伝えてこない。そして、欲深くない。

 

人間は欲が深すぎる。

このころには、私は完全な「人間嫌い」を自覚していたと思います。

そして、自分を罪びとだと断罪していたし、自己否定していた。

「自分は人を傷つける、悪い人間だ」と思っていました。

 

これを、今振り返ってみると、過剰な反応なんですね。

でも、当時の私には、仕方が無かった。若くて経験不足。どうすればわからないなかで学校に行ききったのは、よく頑張ったのではないかと思う。

ほかのもっと人間力の高い方だったら、もっと上手いやり方があったんだと思う。でも、私にとってこれが最初の「自我の目覚め」だと思います。

 

自分はいったいなんで生まれてきたんだろう。

人間は、どうしてこういう心をもっているんだろう。

ヒトは、悪意がないのに、どうして苦しめ合うんだろう。

 

ずううううっと、そんな事ばかり考え、本を読み、映画を見て、音楽ばかり聴いていた。そのことが、今の自分を創ったし、今ふりかえると大変貴重な二年間でした。

 

で、冒頭の話。

 

ひきこもりっていう言葉のイメージは、内向的で行動力が無い、なまけもの、みたく世間一般、とおっているけど、ぜったいそんなに単純で分かりやすいものではないと思う。

 

ひきこもるのは、自分を守る為。

ひとは、いろいろな方法で自分を守るけど、ひきこもる人たちは、きっとこの暴力的な世界で、自分を上手に守りながら、生き抜いていくにはやさしすぎる。繊細すぎる。私は個人的にこういう風に考えています。

 

自分が、傷つきたくない。誰かを、傷つけたくない。

 

こういう思いには、ふかく共感するし、ひどく人間らしいやさしさ、繊細さだと思う。

 

そういうふうに心がやさしかったり、繊細だったりすると、社会にでるとすごくすごく疲れるの。だって、みんな「じぶんが、じぶんが」だし、そうしないと生きていけないし。そして、それが社会的スキルみたいに賞賛されるし。

 

でも、ちがう。やさしくて繊細なひとには、そういう人に合った、生き方がある。

ひきこもるのは、ほんとうはすごく大変なんだよ。

逃げているなんて批判してきて言ってくるヤツには、塩まいてやれ。

逃げてないから、自分と向き合ってる。

朝から晩まで。見える対象はじぶんしかいないんだから。

 

長くなりすぎだ。つまり、結局なにがいいたいのかというと、ひきこもりながら、別の道をさがすんだ!いやなことはやらなくていい。働けば解決なんて、そんなの絶対うそ。なぜなら、きっと苦しみは、他の形であらわれるから。

 

助けを求められるなら、そういうひとに、すなおに全部はなしてみる。それと、自分を否定しすぎないで、なぜなら、ダメ人間ってすごいことなんだよ。それを知っているかいないかで、人生って大きく変る。

 

私は、いろいろいろいろあって今がありますが、腹の底から「自分はダメ人間である」と、断定した瞬間があります。そして、そのときから、本当に自分の人生が始まったといっても、過言ではなりません。自分のダメさを認めて、目を逸らさないことは、ほんとうの意味での成長につながります。

ダメ人間の自覚がある人の方が、絶対的な伸びしろがあるのです。

 

なぜなら、素直だから。これにつきる。

 

普通は、自分のダメさを直視できない。

自分が無力な人間である事実も辛い。

自己否定とは、ちがうのよ。

あるがままの、ダメなときの自分も、腹の底から本気で愛してあげられるかどうか。それが、自己肯定感なんじゃないかなぁ・・・と私は考えています。

 

 

 

ダメなのが、普通。ダメじゃない顔をしている人たちは、うまいだけだから。

テクニックとかの問題だし、才能のもんだい。

後天的な環境もあるし、単に運の問題です。

 

だから、ひきこもるってことは、正常な感性を持つ普通の人間だったら

だれにでも、可能性のあること。

むしろ、とても、心がやさしくて、繊細なんだ・・・って。だけなんだ。

 

問題は、いつもこの次。ひきこもりながら、どうするか!

そこ部分は、ひとりひとり、万能の策なんて無くて

自分の自前のやり方を見つけなくちゃいけない。

がんばりどころ!ここは、がんばるのみ。

がんばろう!でも、人目は全部無視すること!

 

応援してくれるヒト、理解してくれるヒトは、必ず探せば見つかる。

諦めないで、いい!1年や2年や10年は、本気でやれば取り戻せる。

これも、大事な過程のひとつ。人生は長くて厳しくて過酷な現実も含まれてる。

でも、あなただけじゃないから。どんなヒトの人生も、それなりにそれぞれに過酷なんだから。一緒にがんばろう。がんばりすぎないように、きをつけながらね。

 

ひきこもれ―ひとりの時間をもつということ (だいわ文庫)

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