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超ホモ・サピエンス日記サテライト。

このブログはノンフィクションです。

犬と共にいきることから、知ったこと。

私の家に初めて犬が来たのは、10歳のとき。

すっと犬が飼いたかった母と私、その子は近所の市役所周りで開催されていた

その仔は「秋の農業祭」の一角で、野菜と一緒に、そこにいた。

農家のその一家は、シェットランドシープドッグという犬種が好きで

夫婦で飼っていた犬たちに生まれた子達を、野菜と一緒に祭りに連れてきていた。

 

私と母は、ぶらぶらと楽しんでいたうち「子犬がいるーーー!」と、その農家さんのブースを見つけて、見に行った。

まだ生後1ヶ月。コロコロの可愛い子が、たしか4~5匹だったと思う。

 

可愛かった。もう、可愛かった。あの、子犬・子猫の可愛さは反則だと思いますが、あがらえませんね、降参。

 

我が家は父が「命の責任は大変なモノです。犬は飼えません」と言う人だったので

家に帰って、仕事から帰ってきた父を玄関で待ち構え、母と2人で土下座した。

 

「絶対に、きちんと世話をします。お願いだから飼わせて下さい」

 

父は

「一晩寝て、明日も気持ちが変わらなかったら、いいよ」

と言いました。

 

その後、無事に夜を越え、気持ちは強く揺らがず、母と2人で二日目の農業祭に朝一番で駆けつけ、その仔を「どうかウチで、育てたいです」という意思をおじさんに伝えたのでありました。

 

当時は、まだ動物の里親なんていう言葉も聴いたことが無く、今思えば個人間の里親選定だったのだが、おじさんはどうも誰にでも子犬を渡さなかったように思う。

 

われわれの事は、はっきり覚えていて、話は進んだ。

だが、私たちの後に来た人は、断っていた。

どうやら、相手の人となりを含めて、仔犬たちを託す先を決めているようだった。

 

料金として、10000円を…と言われた。

「これは、血統書の登録にかかる費用も含めてなんです…申し訳ないね…」

と本当に、申し訳なさそうに。

しかし、おそらく一万円を渋るようなひとに、やはり渡していけないのだと思う。

今思えば、その農家さん&おじさんはとても犬を愛していらっしゃる方だったのだと思います。当時にしては、とてもきちんと譲渡の手順をふまれてくださいました。

 

補足============飛ばしていいです==========

なぜか!それは、今動物愛護に携わっている立場から申し上げると、そんなに多額でなくても、必ず動物を育てること、命に責任を持つこと、そのことにはお金がかかります。人間でも同じこと。私は個人的には多額のお金や、高額な餌、医療を掛ける必要は無いと思っています。ただ、少なからず、命の責任を持つ言うことは、経済的にも人間的にも責任を伴うと言うことです。それは、モノを買うのとは違う。継続的な「やしなう」と言う行為の責任を、深く理解していれば、そのことが腑に落ちていただけるのではないか…と思っています。

しかしながら、悪徳動物愛護団体も存在しますので(寄付に次ぐ寄付を要求するなど)みなさん、どうぞお気をつけくださいませ。これは、結局、人間サイドの問題なので、相手の人ときちんとコミュニケートしてください。ケースバイケースとしかいえません。

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で、二ヵ月半後、母犬と離せるようになってからその仔はやって来ました。

シェルちゃんと名付けました。

ところが半年後、血統書が郵送されてきたら、そこには「ALINDA」と書かれていた!

「えーーー、血統書の名前、アリンダだって!」

「じゃー、仕方ないね、アリンダに改名しようか」

 

と言うことで、我が家のアリンダさんは、家族になりました。

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今回のテーマは、出会いではありません。

別れのお話です。

 

長いときが過ぎ(割愛します)、私は札幌に嫁に行きました。

実家を後にするとき、すでにアリンダはかなりの高齢(17歳)で弱っていました。

それでも食欲もあり、年齢相応の元気を保っていました。

 

4月に引越し、8月末に里帰りをしました。

私が、実家に帰ったその次の晩、アリンダは旅立っていきました。

 

関係者全員、「まさか」と驚きました。

たしかにかなり弱っており、痴呆もどんどん進み、徘徊も起きていた。

でも、まだ寝たきりになっても対応するつもりで居た、父と母でした。

 

私は、彼女が私の顔を見たとたん、生きる気力が切れたのではないかと。

そんな気がして、どん底に気持ちが落ちた。とてつもない気持ちに襲われた。

自分のせいでアリンダはいってしまったんだ。

どんな表現でも表現しきれないくらい辛かった。わたしのせいだと、おもっていた。

 

これは、関係者以外には理解されないことだと分かっているんですけれど、たまたま既に瀕死の状態で、だから私が心配で家に帰って、で、その2日のあいだに行ってしまっただけだと。偶然の一致だと。うん、確かにそうも思う。

 

でも、私にはそう思えないし、私の顔を見てアリンダは行ってしまったんだと。

そして、時が経ち、それでよかったんだと。

今は、そう腹の底から思っています。

 

命というものは、かならず終わるときがきます。

いずれ、かならずそれが、遠い未来でも明日でも。

別れというときが必ずやってきます。

避けられない。

 

だからこそ、いま、この瞬間瞬間を、大切に過ごしてほしい。

たとえ、老いていなくとも、病気も無くとも、傍目に100年生きるように見えても

かならずきたる、別れのときに、どうか後悔しないように全てと向き合ってほしい。

時間を過ごすこと。いきていること。それ自体が奇跡のようなものです。

この世界で、なぜこの人たちが家族なのか!

それは謎。でも、たぶん縁とかよばれるもの。

 

明日、もう二度と会えないかもしれない。それは、怖いことに感じますが

生きると言うことはそういうことです。

 

【一期一会】と言う言葉を、唯の四文字熟語と片付けてしまわずに

自分という人間にたいしても、いちにち、いちにち、どうぞ大切にされてください。

 

明日も、みなさんと皆さんのご家族が、良いとき・良い瞬間を過ごされますことを!

喧嘩をするのも、生きているがゆえ!

日々、前のめりで貪欲に、かつノンビリとマイペースに、

時を感じて生きていければ…

 

なーーーーんちゃって。自戒を込めて。

 

 

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