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超ホモ・サピエンス日記サテライト。

このブログはノンフィクションです。

ブログを始めたわけ。

はてなの仕組みが、まだまだ奥が深すぎてよく分かっていない。

だけど、最近、すこしずつ「ああ、こういうときはこうすればいいのかな???」

と言うような感じです。ハイハイぐらいの段階かな、赤ちゃんで言うと。

 

ええと、私はブログとかツイッターを、うまれて初めて2015年12月にやり始めた。

だから、いまだに仕組みが分かってないけど、まあ、なんとなくこれでいいのかなって感じでやっています。失礼があったら、申し訳ないす。

だから、自分が文章を、自分の責任の下に世の中の(ネット内だけどさ)日の光の元にさらすのは、人生初体験なんです。

もともと、私は多分ほとんど、ほぼ完全に完結してるような感じの人なんです。

ほぼ完全自己完結。でも多分結構居ると思うけどな。見えないだけで。

とはいえ家族はおりますので、生身のほうはちゃんと、他人とコラボってますけど。

 

こう、全てが自己完結してる人間という人を、皆さんが想像できるのか分からないので、具体的に説明いたしますと・・・

 

・TVもねえ

スマホもねえ

・仕事もネットでやっている

・車もねえ

・ストーブもねえ

・ホットカーペットで 暖をとる

・・・・・・・・・・・

あ、これは!

 

おら、こんな村、好きだ~♪

おら、こんな村、好きだ~♪

東京は たまに 行くだ~♪


俺ら東京さ行ぐだ〜吉幾三

 

なんか急に思い出したよ!

吉幾三さんっていう、おじさんがいてこんな歌を歌っていたんですよ、かつて。

若い子は知らないかもしれないですが、なかなかgroove感に溢れた曲ですね!

高度経済成長期の歌なんでね、まあ、半分はジョークと言うか、自虐のジョーク。

 

ちょっとちがうけどさ、まあこんな感じの生活を「好きで」している(笑)

ココ重要ね、好きでやってんの(笑)

 

我が家の周りは、もともと別荘分譲地。なんと全て、空き家!!!

この一画、私たち夫婦と犬しか居ない(笑)

犬が吠えても大丈夫。朝から、大音量で音楽掛けてもOK.一目を気にせず、お風呂上りは素っ裸で庭にも出られる。庭はリビングみたいなもんで、いつもパートナーと話をしたりコーヒーを飲んだり、自由にできます。だって、誰も居ないし、ここが日本なのかニュージーランドな のかカナダなのか火星なのか、わからなくなります。そういう日々。近所の人たちには「あの子達は、若いからね~」という生暖かい目で見ていただいているの で、むしろ超楽!みんな穏やかな方々ばかりで、付近は静かだし、野菜くれるし、放っておいてくれるし、まあ、実際には嫌われているのかもしれないな(笑) でも、お互いに迷惑掛けてない。距離を持って、静穏な関係を築きあげたぜ、10年かけて、あ、5年くらいかな?

 ちなみに、町内会もはいっていない。だから、地元の情報はみずから公民館に行って仕入れてくる。(ネット情報が充実していないのよ。人口少ない、地方自治体は)

もともとジモティーたちは、おおきな祭りとかのために、常日頃からがっちり体制が出来上がっています。むしろ、新参者は入れない。

ので新規住民達で結束が必要と思う人たちは、それぞれがもちろん活動しています。

わたしたちが、それに参加していないだけ。

そして、あちらも、「無理に参加しなくていい」と最初に言われたんだよね!

わたしたちは、たまたま運が良かったんだな。

自分達の望む方向に現実が動いてくれたので。ラッキーなんですかね。

 

なんか、また遠くまで来ちゃいました。

 

何が言いたいのかと言うと、私はこのブログを今書いているのは、理由があるんです。

 

基本的にリアルでも、私は人に何も言わないし、心で思っても、黙ってる。

自分が押し付けられるのが嫌いだから、自分も人に押し付けるのが嫌いだ。

なにより、責任が持てないから。助言した所で。

ひとそれぞれ、問題の解決方法はちがう。人の数ほどあると思っている。その人に合った解決方法しか、問題を解決することにはならない。対処法なんて人の数ほどある。

第一、ひとのことあれこれ言ってるほど暇じゃなくて、自分の事も自分の中で全部考えて解決するから、だれにも問題を聞いてもらったことがない。

愚痴を言ってると疲れるから言わないし、そもそも愚痴るより解決策考えてるから、時間がない。

自分の生活と、自分の好きなことと、自分のやりたいことが多すぎて、言葉を吐く時間がない。毎日時間が足りなさ過ぎて、「もう、今日終わりか!!!!!」っとまいにちまいにち困ってる。

 

でね、私は、やさしくないんですよ。むしろ冷たい人間なんですよ。なぜか。

 

自分が完結している。だから。

 

自分の事を最優先に考えて生きている。そういう人は、特にやさしくないです。

 

・・・・・・・・・でもね、ほんとうは違うんだよね、多分。

 

自分を最優先に、つまり自分の「意思」を最優先に考えて生きていると

他者の「意思」も尊重できるようになるんじゃないかなと思います。

そのかわり、自分に厳しいように、他者にも厳しくなるのかもしれません。

 

私は、たぶん「相手のために」頑張ってきたところがあって、幼少期からそうで、自分の望みは特になかった。「ひとが何を望んでいるか」に非常に敏感なので、つい応えてしまう。でも、それってさ、結局自己満足でしかないということに気が付いた。

 

本当に心から満たされるのは、自分が「本当にイイと思ってやりたくてやったこと」を

だれかが「これ、すごくいいね!こんなことしてくれて、ありがとう」っていわれたとき、すごく満たされる。

 

わたしが、私のために、一生懸命やったこと。そして、やっている最中、ずっと楽しくて、努力をするのも無意識で、やってきたこと。

 

そういうことしか、もう絶対にやらないって決めた。

やりたくない事は、絶対にやらないって決めた。

たとえ、仕事であっても、私にその能力があっても、

やりたくないと感じたら、頼まれてもやらない。丁寧に断る。

そのかわり、人には絶対に迷惑を掛けないようにする。

そうじゃないと、自由でいられないから。

迷惑かけたら、すぐに謝る。借りを作れば、すぐに返す。

 

そうしたら生きている事はイコール成長であって、日々、草花が伸びるように、樹木が幹を太らせるように、自分が音を立てて、生長していくようになって驚いた。

 

そして、結局、天職(仕事じゃなくても天職のような活動)しか残らない。

 

 で、私のパートナーはADHD、私はアスペルガーの疑い、なので、そういう特性がある人限定なのかもしれないですが、天職って大事だよー。

天職って何?というと、やってて「何で俺、こんなことしてるんだろう」って思わないなにか。死ぬまで、やりたいと思えること。それでも、やりたいことの中には、やりたくないことが含まれている。でも、最終目標から目を逸らさなければ「やりたいことのために、このやりたくない事をやらなければ!」てい うモチベーションも上がること間違いない。

 

天職についていれば、発達しょうがい者でも、ぜったい変な病気にはならない。

肉体は、いろいろ劣化と共に朽ちるのは当然。

 

でも、精神は腐らない。精神さえ腐らなくて、肉体を多少、鍛えていれば

絶対に、幸福と言うものを感じることが出来ます(断言)

 

問題が起きたら、対処すればいいだけ。

将来の不安も、必要な事をいま準備して、出来ない分はしょうがないじゃな~い~。

 

そういうふうに、割り切れるようになります。ほんとうです。

なるようにしかならない。それは、自立した人たちは、腹の底から思っていることだと思う。だから、将来がどうなるかなんて、絶対分からない。予定通りなんて行かない。

コントロールしすぎようとするから、うまくいかない。

震災だって突然起きるのさ。

 

また脱線だな。ホント長文杉だな。

 

さてやっと、今日の本題。

 

えー、むかしむかし私の職場に居た普通のおばさんが、お昼に「ステーキのどん」に連れて行ってくれました。私は、職場だし、4人だし、割り勘(っていうか自分の分負担)だとばかり思っていた。

 

最後に、一番年長のおばさんが、「じゃ、お会計してくるねっ♪」っていうから

「え、あ、私の分です」

と、お金を渡そうとしたんですね。

そうしたら彼女は

「あら、今日はわたしのご馳走よ♪」

っていうんで

「えー、そんな事されたら私、気が引けて今度から、お昼一緒に来られないですー」

 「あ、そう、ま、いいからいいから♪」

と、彼女は4人分の会計を済ませた。

私は不満げな顔で、彼女の車の助手席に乗ったのだろう。

性懲りも無く、お金を渡そうとした。 

 

それを無視して、彼女は突然話し出した。

「私ね、若い頃すごく上司や先輩に可愛がられていたの。」

そう、そのオバサン、やさしくて、かわいらしくて、あたたかいオバサンだったんですよ。親しくなくても、なんとなく雰囲気で分かりますよね!若い頃は多分かわいらしかったに違いないなー。

「でね、お昼ごはんもいつもおごってもらってて、美味しいものも食べに連れて行ってもらったのね、しょちゅう」

「で、いまね、その人たちに、お返ししたいなって思うのよ。もう私も、すっかりオバサンになったし、昔よりお給料も上がったしね、そのときの恩返しみたいなね」

「でも、もうその人たちに、会えないの。その人たちに直接お返しすることは、もう出来ないのよねー。私も、年取っちゃったからさ、うふふ(笑)」

 

私たちは黙って聞いていた。

 

「だからね、私もあなたたちにご馳走するの。ご馳走したいからするの!」

「それでね、いつかあなたたちに後輩が出来たら、今度はその後輩に、ご馳走してあげてね。私に、お返しする代わりにね・・・」

 

 ・・・・・・・・・・・・・

 

私は、その頃、自分が親に申し訳ない存在だと思ってた。

3年浪人して、大学に進学せずに、もう働きたいからといって働き始めた。

予備校にかかったお金と私立の高校に進学させてもらった費用を、全部返したいと思っていた。だって、結局、大学進学せず、高校も金のかかる高校に入れてもらったのに

三年間、遊んで暮らしたんだもの。

そういう自分が恥ずかしかったし、情けなかった。

せめて、お金を返したら、自分の気が済むような気がした。

 

で、結局、今に至るまで返してないけど(笑)だって無理じゃん。

自分の人生、たいしたことないダメ人間に20代で600万も貯められないね。無理その才能はない。それに親が、分割で渡そうとしたら、頑として受け取ろうとしてくれなかった。

 

で、オバサンの話を聞いて、目からうろこが落ちた。

これ、美談じゃないからね。

いっぱいのカケソバとかだいきらい(ある程度の年齢なら分かるかず)

 

あのね、恩を感じている、その人自身には、返せないんですよ、多分。

僕達は、バトンを受け取るの。

 

肩が触れ合ったとき、にっこり笑っただけで。

わけてもらったの。

 

で、それを、他の別の人たちに返していくんだ。

自分が、してもらったこと、親に返せない。

自分を、可愛がってくれた先生は、たぶん亡くなってしまう、いつか。

愛して、愛された、あのひとも、いつか先に行ってしまうのだろうと思う。

もう二度と、会うことのかなわない、大好きな人も居る。生きてはいても。

 

彼らから貰った事を、いま、私は目の前の存在に、お返ししている。

彼らへの、尊敬と感謝を込めて、別の人たちにするの。

 

親への思いは、たぶん、私の子に。

恩師の教えは、後輩に。

道で、やさしくしてくれたあの人の行為を、私は真似をする。別の人に。

 

遠い人でもいい。盗め!良いと思うことは、盗む。

勝手に盗んでいい。相手も多分怒らない。

 

人間だったら、人間の作った「よいこと」を大切に、失いたくない習慣は大切に

つぎに、「いきていく」ひとたちに伝えたい。

 

それが、たぶん文化。

 

綺麗ゴトだといって、笑うやつは笑えば良い。

 

いま、人に助けてもらったり、やさしくされたり、親に世話になっていて肩身の狭い子供たち、きみたち、将来、大きくなったら、お返しできるのよ!ちゃんと。

 

世の中の、別の人たちに。今してもらう一方でも、全然はずかしいことじゃない。

今は、感謝をして助けてもらう。きちんと堂々と。

そして、必ず、将来、自分がしてもらった事を「他者に」その価値があると思う他者に出会ったら、してあげてください。

 

社会は偉人達で作られているわけではない。

名も無い沢山のふつうの人間達で、できている。

火をおこしたサルの名前を、私もあなたも知らない。

 

だから、堂々と、成長してください。大人になれば、体力と能力がつく。(鍛えれば)

そうしたら、ひとりの人間の仲間入りさ!

 

 いま、冒頭で述べたように、わたしは自己完結した人間だ。

自分の為の方法論、必要に迫られて編み出した生き方。

自分なりの自分だけの知恵。

こんなものは、自分にしか役に立たない代物だ。

だから、誰にも教えない。誰も必要としないトップシークレットだろうと思ってきた。

 

でも、あれ?って、思った。最近になって

「私って、ずるいな」って思うようになった。

 

自分だけが幸せで、なんてありえない。

 

それは、おおくの発達しょうがいのブログを、真剣に書いている方々がいて

その方たちは、自分の見つけた「秘策」を、惜しげもなくネット上に上げていた。

 

情熱が無ければ、出来ないことだと思った。

そして、彼ら自身のためにやっていることは、私にもとても役に立ったし、

心から本当にありがたいと思って、真剣に読ませていただいた。

 

dryanbaru.xyz

この三年間、(もっとかな?忘れた)ずっと、独学で勉強してきた。

asdaiou.cocolog-nifty.com

 

昔は不可能だっただろう。ネットがあるから!こんなことも可能になった。

 

だから、わたし、自分の秘策を隠して、

自分の為だけに使っているのは「ずるいな」って、思って。

 

思い立ってすぐ、ツイッターを初めて、ブログを軽く探してみて、はてなにした。

 

なるべく5歳の子供にも分かるように書くよう心がけては居ますが、

なにぶん能力が低いので、乱文についてはお許しください。

 

お返し文化、これは日本人特有の文化じゃないかな。

キリスト教圏だと、「隣人を愛せ」になるから。

儒教だったら、とかイスラムだったら、とか考え出すとキリが無いけど。

 

お返ししたい、想い。それは伝わる。そこに心が、あるのかどうか。わかるはず。

私が、ネットから頂いたものを、ネットへと、あげて戻す。

わたしなりの、アレンジとオリジナルを、たくさんふりかけて。

 

心がこもっているのかないのか、そこに情熱があるのかないのか

すぐにわかる。文章を読めば。

 

そこに、愛はあるのかい?愛がなくては、悪魔に太刀打ちできないぜ。

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