超ホモ・サピエンス日記サテライト。

このブログはノンフィクションです。

映画「きみはいい子」(2015)そして「そこのみて光り輝く」(2014)

「きみはいい子」と言う映画があります。

これは虐待死事件をきっかけに書かれたオムニバス小説を映画化したものです。

 

([な]9-1)きみはいい子 (ポプラ文庫)

([な]9-1)きみはいい子 (ポプラ文庫)

 

 映画的には、いくつかのストーリーが絡み合う形で、平衡して語られていくので

少し、散漫な印象を与えます。

 

私はこの呉監督の「そこのみて光り輝く」と言う映画が素晴らしくて、この監督に期待していますが、映画としては、少し万人におススメと言うわけには行かないのが「きみはいい子」だと感じています。

 

ただし、この映画には多分なかなか通常描かれない部分を、真摯にされている気がした。そこだけは少しお話したいと思います。

 

注意!【以下、ネタバレを含みます】

 

きみはいい子 DVD

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 人間の、大人のルール

 

まず、尾野真千子さん。彼女は、いつもなんか「せっぱつまった」女性がとてもよく似合うし、強烈な情念のようなものがいつもこちらに「ぐぐぐぅ」と押し付けられてくる感じ(褒めています)がとても強くて、今回もよかった。

 

女性らしい。是枝監督の「そして父になる」の時も、すごくよかったな。

女性って、強くて、弱い。そこがとても、いい。

 

母親で、彼女の役柄の「なんとなくあの、感覚」に思い当たらない人は、すくなくないのではないだろうか?

「恥を、かかせないでっ!」という、あの台詞。

 

全ての女性が、思い当たるとはいわないが、子供や動物と言うものは、

我々大人よりも「ずっと自然に近い」

自然にちかいものは、人間達(大人たち)のルールの意味が分からない。

なぜ、そのルールを遵守しなくてはいけないのか、理解できないし、重要性も感じていない。

 

なぜなら、人間達・大人たちのルールの中には「不自然なモノ」が含まれているから。

不自然なものは、自然なモノたちには、理解できない。

 

そして、人間は大人になるにしたがって、社会に馴染むにしたがって、多かれ少なかれ、不自然になる。なぜなら、人間界は不自然なモノ。そこに順応する為には必然だ。

 

いつしか、疑問も消えてしまい、「なぜ?」と問うこともなく、

機械的に従うようになる。

 

出来る限り、そこに注意深くなる為には「なぜ、この不自然さが必要なのか?」ということをいつも、考えながら行うといい。

 

社会のなかで、人間として、「理由があるから」人間的な不自然な行為も出来るようになる。そして、それはある種の「社会に対する思いやり」でもある。

子供が大人になり、社会の中で、生きていく必要になるもの。

それは、「他者に対する思いやり」であり、譲歩する心である。

そのことは、それすなわちそのままで、成熟する事を意味する。

 

自己保身のために、行儀良くする事を強いてはいけない。

そこには正当な理由があり、合理的に「説明」していくこと。

子供にも、きちんと分かります。他者に対する思いやりと言うものは、どんなに小さな人間にも必ずどこかしら、伝わるものです。

 

思いがなければ、伝わらないのだ。続けることがたいせつなのだ。

形だけを追ってはいけない。結果だけをおっても、仕方がないのだ。

 

形と言うものは、最終的に顕れるもの。それは、さいごのさいごだ。

 

答えがないということ

 

教師役の彼が(すみません、彼を良く知らない)子供たちに与える宿題。

「家族にハグしてもらう」ということ。

 

この宿題は、見所のひとつ。

この役を演じる子供たちに、実際に、やってもらったらしい。

そして、彼らの実際の反応を撮影したのだそうで、一番の見所と言えると思う。

 

子供たちは、様々な感想を述べるがおおまかに「不思議な感じ」と言う所に、結論を持っていく。これは、不思議な感じとしか言いようのないものだから・・・と言うことで。うん。いいと思う。

 

不思議というものは、おそらく「わからない」と言うことだと思う。

で、この場合は「いいもの」と感じていますと含まれているように感じる。

 

「わからないけど、なんかいいもの」

 

これは、愛の正体だ。

 

「わからないけど、なんかいいもの」

 

最後に、この教師は、走る。ある生徒の家に、必死で走っていく。

この結論は、描かれない。あえてだよね。ここは。

 

生徒が、実際にどうなったのか、わからないと言う形で、映画は終わる。

ここに批判の向きもあるようだけど、私は「ああ、真摯に描きたかったんだ」としか思わなかった。そう、真摯なんだよね、この監督。

 

答えはないんだよね、どうすればいいとか、こうすればいいとか、ないから。

 

我々、現代人は

「頭が痛かったら、バファリン」とか

「風邪を引いたらパブロン」とか

「癌になったら、がんセンター」とか

認知症には、ヘルパーさん」とか

答えがすぐに与えられるさ。いろいろ。

 

でもさ、そもそも、人生に特効薬だとか「こうすれば治ります」なんてもんないさ。

 

子育ても一緒。バファリンとか、パブロンとか、ないから。

特効薬を処方してもらおうなんて、手抜き。

だから、判断を、他者に委ねて、自分は思考停止のまま、成熟できないんだと思う。

 

かつて吉本隆明氏は「子育ては、実験です」と言い放った。

私は、これを読んだとき「人生も、実験だろう」と思った。

 

生きると言うことは、常にひとつひとつの経験の手ごたえと、自らの考えや志向、想い、そういったものと自分の能力をつねに注意深くデータを積み重ねながら、その結果を元に、次の一手を繰り出していく、終わりのない実験であり、常に耐えることや、積み重ねること、前に進むこと、を余儀なくされると思う。

 

なぜならば、自然界もそうだから。自然は、常に中庸とバランスを保ちあいながら、状況の変に対しても、とまることはない。

なにがおきても、そのまま緩やかに、前進を続けるのだ。

それが、生命だ。

 

人間とて、自然である。だいぶ不自然なモノがシステムとして取り込みざるを得ないが、必要に応じて、不自然さと自然さをバランスを取りながら、耐えている。

ヒトとしての、全体像を、その倫理に基づいた、姿と姿勢を守りながら進むために。

 

そこに、「これ には これ です」なんていう、簡単な答えはないのだ。

 

不安には、宗教を、生命保険を、バックアップを、太陽光発電を。

あれです、これです。これも必要です。あれも必要です。

 

いろいろ、手に入れたところで、残念。不安なんて消えないさ。増えるだけさ。

 

答えがないこと、特効薬がないこと、それを、踏まえたうえで

観察を続ける。手ごたえを得るように、相手に働きかけ続ける。

そして、素直に、接する。お互いにもっとも自然な状態で居られることが、家族を求める理由のひとつ。家庭を欲する理由のひとつ。

 

家族を、そのまま受け入れる。自分もそのまま受け入れる。

そのうえで、努力する。できる事をただ、真面目にやる。

うまくできなくていい。上手くできる必要など、どこにもないからだ。

 

それが、ほんとうの家族の、自然な形だ。恥じる必要はない。皆、実験の途上なのだ。

母も、いずれ必ず母となる。その途上。子供が協力してくれる。

 

母になる為に必要なモノは

子供が、あなたに、与えてくれる全てのものだ。

 

苦しみも含まれるだろう。悲しみも含まれるだろう。

 

 

おおおおおお、なんか、ちょっとちがうかな?ま、いか。

 

 

それより、この映画はすばらしいっすよ、奥さん!!!

まあ、子供にはわからんじゃろう。

 

hikarikagayaku.jp

 これは、池脇千鶴さんの代表作でいいんじゃないでしょうか?現時点。

彼女いつも、ほんとうに真面目でよく頑張っているんだけど、どうも肩にチカラが入りすぎ感が否めなかった。が、この作品は、よかった。本当に良かった。

http://hikarikagayaku.jp/images/wallpaper_0418_b_1600.jpg

 

ちなみに、高橋和也さんもほんとうに巧い俳優さんになった・・・ほんと、嬉しいよ。

男闘呼組って、若い子しらんじゃろう・・・

岡本健一さんも舞台で見かけた時、すごい良かったよ。ほんと、皆頑張ってる。

 

がんばろうって、気になるな。がんばってるやつ、みかけるとな。

 

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