読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

超ホモ・サピエンス日記サテライト。

このブログはノンフィクションです。

欺瞞について。

欺瞞と言う言葉について、考えてみた。

私の仲ではスーパー不可解な単語。

 

【欺瞞】

 

辞書で調べてみると

 

欺瞞 : あざむくこと。だますこと。

 

これは、自己欺瞞と考えると、自分をだましたり、あざむいたりするということですね。と考えれば、私には理解できるはずもありません。

なぜなら、わたしには自分にアスペルガーの傾向があると疑っています。

アスペルガーにとって、嘘をつくこと、人を欺くことは、大変な罪悪であり、やろうと思っても絶対に出来ないことなのです。

つまり、アスペルガーにとっては、他人をだますことは出来ないだけでなく、自分自身をだますことも出来ません(二次障害に至った場合を除く)

 

で、理解できないにせよ、その現象を垣間見たと言うことで。

これは、一体どういう構造によって生まれるのか?

考えてみました。

 

tocana.jp

 

これは、かなり昔のインタビューなのですが、この著者:中村淳彦さんの言葉の中に「ポエム」という単語が登場します。

ちなみに、このインタビューは大変興味深く、ブラック企業や介護業界、AV等のある種人権が奪われそう(にみえる)業界に、実際に身をおいた著者の鋭い見解が読めますのでおススメです。

 

私は、この単語の初見がここでした。

以降、個人的に「ポエム」と言う言葉を理解のために使わせていただいています。

 

いま、ぐぐってみると「ポエム」は、それなりに使っている人は居るようです。

news.livedoor.com

ちなみに、安部首相や山本太郎さんなんかも、ポエム扱いされているようですね。

この類の人種、この類の社会の雰囲気を表すのに、ぴったりな単語だと思うので、意味がひとり歩きせずに、浸透して欲しいなぁともう単語のひとつです。

 

 

私は、ごく最近ポエムの人々に出会ってしまい、関わる必然が起きてしまったとき、彼らをどのように理解してよいのか、非常に困惑しました。

そんなとき、この単語によって説明が可能だということで、たいへん重宝している言葉です。

 

少し前だと、カルト。しかしながら、現在は彼ら自身が無自覚なので、カルトとは言えず、ましてや結果だけに着目すれば、一概に良い結果も生んでいるゆえに非常に始末が悪く、正義感を振りかざして、正論(に見まごうもの)を他者に怒鳴りつけ押し付けてくるので大変厄介で、関われば、いずれ必ず困惑する羽目となると思います。

 

そして、こういう現象は、いまやおそらく様々な場面で見られるのではないかと想像しています。さまざまな業界で、同時並行的に起きているのではないでしょうか?

 

そこで立ち戻り「欺瞞」について考えてみると、彼らに共通して言えることは、ほんとうの意味で悩んではいず、生きていくということの本質的な意味で苦しんでいるわけではない。

 

ポエムな人たちは、自己満足で行っています。

そして、その自己満足は、完全に自己を実際の眼前にある苦しみから、逸らす事を目的としています。

 

逸らさずにいられない理由は、私には分かりません。

でも、私は、彼らのごまかしを感じる。

 

自分を誤魔化していることへの罪悪感を感じるからです。

そして、それは他者への正義感からの異常な行動となり、不可解な現象が人間関係の中におこってしまう。

 

そして、彼らは実際には気がつかない理由で、孤立しています。

そして、また、ポエムによりすがる。

 

悪循環です。

 

欺瞞と言うものが、社会的に蔓延する理由。

それは、現在、人間には

権利が与えられすぎているからです。

 

権利と言うものは、本来、義務とセットで与えられます。

人は権利を与えられれば、(阿呆でなければ)おそらく、義務を連想します。

この権利と引き換えに、義務を果たさなければならない。

 

幼稚な存在が、権利を与えられたとき、その義務を、どう果たすかが問題となります。

果たすことの出来る義務。じぶんの能力でこなすことが出来るかどうか。そうでなくては、権利とは得られるはずのないものです。本来は。

 

しかしながら、例を挙げると、子供に必要以上の権利を与えればどうなるか?

(それは、正当以上の権利と言うものを指します。基本的人権ではありません)

その子供は、その権利に見合ったものを曲解して、義務として背負います。

つまり、生きる事に不自由していない人間がとる、権利に対する義務の答えは・・・

自己実現」です。

スポイルされすぎた子供があまり幸福な人生を進みにくい傾向があると思いますが、おそらくこれが理由になっているのではないかと想像します。

 

権利だけが先に、与えられた。→ それが、義務として、のしかかる。

 

先日の記事でも、述べましたが、貧弱な自己には貧弱な自我。

そして、自己実現するためには、それなりに「成長した自己」が必要です。

 

その成長した自己に対して、権利と言うものが発生するのに、逆転の現象が起きている。すると、自己はきちんとした人格を形成する前に、結果を求めようとします。

 

それが、貧弱な自己のままで、大人の振りをして社会でやっていくことが可能となる、今の幼稚な日本の社会を形成している理由であり、そこで生きる多くの人々が、自己欺瞞に浸らずには、存在していることすら不可能であり、ポエムにすがる、自己を守る技能を持たない悩める若者達を、次から次へと生んでいる理由なのではないでしょうか?

 

私は、非常に憂れいているのは、勿体無いと思うからです。

 

ニーチェさんの事は良く知りませんが、超人にならんと実践を続けることこそ、真の意味で自由になれるし、権利も得られて、義務も果たせる、ただの【ふつうの人間】になれる唯一の道であるのにも関わらず、怠惰と甘えの中でのた打ち回っているのは、どう考えても不毛です。

 

どんな、言い訳をかんがえついたとしても、それは事実です。

そんな、社会の空気に流されることなく、自分の能力を試し、実践し、結果から学び、義務を果たしてみてください。権利は後から、ついてくるはずです。

広告を非表示にする