超ホモ・サピエンス日記サテライト。

このブログはノンフィクションです。

エイミー・シューマーの投げかける問題提起。

Beautiful, gross, strong, thin, fat, pretty, ugly, sexy, disgusting, flawless, woman.

美しく、キモく、強く、細く、太ってて、可愛くて、ブスで、セクシーで、ムカつく、

完璧な、オンナ。Thank you Annie Leibovitz! ありがとう、アニー・リボヴィッツ

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エイミー・シューマーはコメディアンなんだけど、去年の夏からとってもhotだとおもう。すごくかわいい。ジェニファー・ローレンスを太らせたら似てくるんじゃないか?ということはエイミーが痩せたらジェニファーになるのだろうか…うーん。そういえばポスト、レナ・ダナムと言われていたけれどタイプ違うし。単にコメディ路線で不美人だって言うような大雑把な特徴で一緒くたにする風潮はもう芸が無いぜ。

 

さてさて、これ、すごくすばらしい記事!全女性、必見!

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 美の基準というものが、古今東西で変化しているだとか、内面の美こそ素晴らしいだとか、人間は外見じゃない、中身だよ、とかいう明らかな説得力無い言葉に誰も耳を貸さないことは確かだけど、エイミー・シューマーのヌードには、誰もが一瞬目を奪われると思う。

 

そこにあるのは、意外性と破壊力だ。

 

で、それは「何が意外」で「何を破壊」しているのかということだと思う。

 

私たちは、幼少のときから、これが正しいとか間違っているとか、これが善でこれが悪だとか、これが美でこれが醜だとか、いろいろいろりおいりおいろいろなことを「インプット」されまくって、その【正解モデル】みたいなものをインプットされまくって感覚が汚れちまっているから、それが自分の考えなのか、感じ方なのか、もう何がなんだかさっぱり過ぎてわからなっちまってる(はずだ)

 

そもそも人間は視覚情報に弱いし、慣れ親しんだものに好感や安心感を持ったりするから、広告やら雑誌やらを飾る女性(や男性)は、これまでに見慣れてきたものに似ているものの方が安心するんだ。そもそもアートというものは、誰も見たこと無いものを提示することで、常に世の中に爆弾を投下するようなもの。(でもテロじゃないよ)

 

なにが善で、なにが悪かというものは、そのとき、その時の状況の按配や具合によって、ひとつひとつ自分の目と耳と脳みそをフルに回転させて、相対的な意味で絶対的にその都度その都度、魂が決断するものだと思う。これまでの常識やモデルが通用しない場合の方が多いし、数の論理ではないことなんて既に明白すぎるくらい明白だ。法律どおりなんてことも無いし、思考停止してこれまでのルールブック参照してるんじゃあ、それは手抜きだと思うし、だいたいにおいて、判断に困ることの方が多いだろうと思う。

 

このひとが、美しいな、と感じることも、なにかの条件を満たしていると言うわけではなくて、どうしようもなく、そう感じた瞬間だとおもう。

どんな表情をしても、どんな角度から見ても美しい顔の女と一時間一緒にいたら、退屈で退屈で耐えられないことも在るだろう。逆に、心が美しいことは顔に表れるって言うのは、そういう瞬間もあるに過ぎなくて、造形って言うものはとんでもなく正直だと思う。それは器質的問題だから。

 

ただし、表情の動き方とか、話す瞬間のあの表情とか、笑った時のこの感じとか言う所に一番その人の内面が現れるものだし、あばたもえくぼなんて台詞はどんな慰めより最悪だと思う。あばたはあばたよ。

あばたをちゃんと見ていることの方が、よっぽど愛されてると思うし、自信もつく。

いいあばただね、ぐらい誠実に接するのが紳士だと思うな。まあ、だいたいそういうツッコミを入れるのは女子なのか?そうなのか?

 

で、冒頭の問いへの答え。

 

彼女のヌードの意外なところは、「堂々としている」

破壊的なのは、「これまでのヌードになるオンナの基準」

 

脱ぐおんなは、美しくなきゃいけない。その通り。

彼女はそのままでとても魅力的だから。

太っている人たちへの慰めや親近感を誘おうとかいう下心も見受けられない。

ただただ、そこにある三段腹が、かっこいい。

 

ちなみに、件のピレリの2016カレンダーですが、オノ・ヨーコパティ・スミスも!いやー、ほしーい。ちなみに写真家のアニー・リボヴィッツはスーザンソンタグのパートナーでした。映画も良かった、おススメれす。養女の子達はもう大きくなったろうな。

アニー・リーボヴィッツ レンズの向こうの人生 [DVD]