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超ホモ・サピエンス日記サテライト。

このブログはノンフィクションです。

ぼくのエリ 200歳の少女 (2008) ふたたび!

 途中で、あさっての方向へ行っちゃった。ごめんなさいよ。今日こそがんばる!

yukisiratori.hatenablog.com

今回はちゃんと真面目に行こう。


まず、ネタバレしまくりますので、未見の方は鑑賞後。もしくはコレ読んで興味をお持ちになったら、必ず観てください。あらすじ知ってるとか全然関係ないからさ。

まじで素晴らしい映画だからもったいない。

movies.yahoo.co.jp

やっぱり空気感がいいので、オリジナルのトレイラーをどぞ!

www.youtube.com

言葉や説明は、本当はいらないんだ。さて、まずは簡単なあらすじを。

主人公の少年が、風変わりな少女に出会う。
 ↓
少女に恋をする
 ↓
少女の正体を知る
 ↓
少女は、世にも恐ろしい、吸血鬼だった!
 ↓
それでも、すき。
 ↓
一緒に、生きていく。(高校教師か?)

 ではねー、ココから始めますよ♪ ココ!いちばん入試で使われますからねー。


この映画のほんとうの原題の英語は

【Let the Right One In】です。

http://www.likedreviews.com/wp-content/uploads/2015/02/2a-340x242.jpgうーん。美しいアートワークだね。

ハリウッドリメイク版は

【Let Me In】ですね。(ちょい、はしょった)

ハリウッド版の邦題「モールス」ってなんだよー、一気に軽薄になっちゃってよ。

 「200歳の彼女」も、まあ、どうかと思うけど、

とりあえず「ぼくのエリ」だけだと軽いからね。重しね、重し。

 

で、まず

【Let ホニャララ In】っていうのは

(あくまで私的に訳しますが)

ホニャララを、受け入れて!」

とかそういう感じになるかと思います。

 

受け入れちゃうの。吸血鬼を。

 

でね、この映画のエリちゃんは吸血鬼ですよね!?普通の人間じゃなくて、異常な生物であるだけではなく人間の血を吸うわけですから人間にとってスーパー天敵です。キリスト的にもダメですね。悪魔とかの遠い親戚でしょ?だめよーだめだめ。ヨーロッパ圏なんて、キリスト教的に考えて吸血鬼なんていったら【超反社会的】ですよね?

 

社会的に言うと、殺人を犯すわけだし、例えば畑を荒らすだけでもとかとか、余裕で殺されてしまうわけですよね?人間の命は何よりも優先されるわけだから、人間に危害をもたらすものは「悪」であるわけですね。

社会はその抹殺を、正義として、当然のように行います。

もちろん、ひと1人が殺されるんです。家族や友人や恋人が、チューチュー吸われた血液バッグのようにカスカスになって、そこらへんに転がっているわけです。

エリちゃんの気分しだいで血が吸われちゃう場合だって在るし、別に悪人選んでターゲットにしてるわけでもない。結構、気分次第で相手を決めちゃうし、吸われる(殺される)人は、すごおーく運の悪いひとだったりする。運次第。

 

で、エリちゃんって子はね、その事をよおおおおおおおおおおく、分かっているんです。おそらく彼女は、嫌になるくらい自分のやっている事を、よく理解している。

 

自分がどんなに、人間に残酷な事をしているかっていうことを。

そして、そうしないでいられない自分というものの運命のことを。

 

そのことがね、ものすごくものすごく、キーになる映画だと思うんですね。

http://www.likedreviews.com/wp-content/uploads/2015/02/12-1000x562.jpg

このエリちゃんを演じた女優さん(少女なのに、すごーく良かったね)リーナ・レアンデションは当時ほんとに12歳だったらしい。このどーみても少女なのに、本当に200年生きているかのような迫力、悪く言うとオバちゃんぽいどーんとした貫禄、全てを知って悟っているかのような泰然自若さ。こちらの考える事を見抜いているかのような瞳。もうどうだ!ってかんじ。重み。痛みの重み。このね、【重み】が重要なんじゃないかとおもうわけです。

 

それはね、結局、ある生き物の【悲しみ】なんだよね。

で、その悲しみを抱えてた孤独な生物が、魂を持っている場合っていうのは、

モンスターじゃなくて、クリーチャーなんじゃないかと。

 

でね、スウェーデンのえりちゃんは、モンスターじゃないんですよ。

http://i.ytimg.com/vi/G8D8pm8e9XA/maxresdefault.jpg

 だけど、ハリウッド版のくろえぐれーすもれっつちゃんのは、モンスターになっちゃってるの。ハリウッドは、ホラーもってくと、みんな「モンスター」にしちゃうんだよ。貞子もそう。サマラさんはなんというか、別の存在でしょ?恐いけどさ。

http://www.tuffgnarl.com/wp-content/uploads/2014/05/letmein1.jpg

 

エリちゃんもさ、貞子もさ、モンスターじゃないんだよ。

そういう、本能がストレートに噴出して、不必要なもしくは快楽を目的としての殺戮なり残虐行為をみせるなりの「それがお仕事」のモンスター。

対して、この映画で(もしくは原作の小説で描かれた)ある生き物というのは、生存を目的としているあらがいがたい本能。

  • どうしてもそうするしか出来ない
  • 理性ではどうすることも出来ない
  • もう、自分がなんなんだかよく分からない。
  • でも、ヒトと違うということだけは、はっきりと分かっている。

そういう自分と言う存在。

http://images2.fanpop.com/image/photos/13000000/-Let-The-Right-One-In-let-the-right-one-in-13029623-1360-768.jpg

この部分が、私たちがこの映画をみたときに、映像、ストーリー全てから感じられて魂がぶるぶる揺さぶられるところなんじゃないのかなぁとおもうのですね。

コレは決して、エリちゃんだけではなくて、私たちにも心当たりのある感情(程度の差こそあれ)だからだと思うのです。ある部分では、普遍的ですらある、と思う。

https://crashlanden.files.wordpress.com/2010/10/picture-13.png

それに、エリちゃんは自分に対して同情したり、自己憐憫とかにも一切、陥らない。あくまでも、毅然と自分を受け入れている。すげえ、イイ女だよー。

さすが、200年のキャリアは違うねってかんじ。しかも永遠の12歳。でもさあ、微妙な歳だよね。せっかく止まるなら、17歳ぐらいがちょうどいいんじゃ…あ、でも人によるか。何歳が一番便利なんだろう。あ、17歳は夜の酒場とかも出入りできないから21歳くらいがちょうどいいのかな?でも中途半端だしやっぱ…(以下略)

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 そして、これは、最終的にタイトルに戻っていきます。人間は大人になるにあたって、自分を知る。自分の弱点、汚点や欠点、ずるさ、間抜けさ、見た目の悪さ、隠したいこと、人に見られたくないこと、それを知った上で、いや、感じているのに、ときどき恋をしたりするわけです。恋をするって言うことは、相手が好き、と同時に、相手に私の事も好きになってもらいたいと言う、願望も同時に持つわけですね。

 

しかし、大人になる過程で、自分が「決して相手に好きになってもらうにふさわしい自分かどうか」っていうのはわからない。だから葛藤するわけですよね。そんなに、おススメできる自信があるわけでも無いしさ。(あ、ある方は良いんですよ!そのまま自信に満ちて大丈夫です。いっちゃってくださいOK!)相手が自分をどう思うのか?相手に自分はふさわしいのか?こういうことが言葉になっていなくても、多分そういうような関連事項であれこれ悩むわけですね。

http://1.bp.blogspot.com/-mebkVLPXkE8/UGNDVCDebiI/AAAAAAAAC_M/KlgHeZXnf-8/s1600/7.png

でも「誰かを好きになる」っていうことは「欠点だらけの相手が好き」ということでもあります。そして同時に「欠点だらけの、わたしも受け入れて頂戴」ということです。皮肉なことに、大好きな相手に「欠点はあるけど自分を全部受け入れて欲しい」と言う思いを強要することが、恋の成就を願う場合の真実となるわけです(って語弊があるな、おい)

 

で、それでいい。っていうか、恋って、そういうものです。

自分のこと、棚に上げながら、あれこれ悩んでんですよ。みんな。

好かれる自信が無いから、整形したり、カッコつけたり、ダイエットしたり、じゃニーズみたいな髪型にしてみたり、モテ道を学んでみたりさ。

http://images2.fanpop.com/image/photos/13400000/-Let-The-Right-One-In-let-the-right-one-in-13424934-1360-768.jpg

で、そもそも人間の事を「血液バッグ」という目でしか見ていなかったエリちゃんが、初めてこのオスカー君に興味を持つわけですよね。(金髪、ピュアなもやしっこ少年オスカー。このキャスティングも絶妙だと思う。普通は少女の方が美少女だからさ)観ているこっちはかなり「狙われてんのか?」とドキドキするわけですけど、ちがう。

エリちゃんは想像を絶するぐらい孤独だったわけで。そこんとこが映画上シナリオとかには無いわけだけど、こう、伝わってくるわけですよね。はじめての「友達」に対しての接し方がよく分からない感じ。社会化不足のエリちゃんの不器用な感じ。

で、オスカー少年も、エリちゃんになんか惹かれてしまって、もうマジで恋する5秒前な感じなわけですよ。


広末涼子 MajiでKoiする5秒前

あれ?なんか、へんな幻覚が乱入してきたかな?ひろすえサン可愛いっすねー。ものすごい人気だったんですよ~当時彼女。その世代なら、知ってますよね!?この曲は竹内まりやさん産なので流石の完成度の高さですね。ところで、ひろすえサンすごくイイ女優になった。人生のすべては肥やしになるのが俳優と言う職業ですね。ところでダザイはどうも肌が合わないけど、この映画はよかったよー。 

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やばいやばい、 戻ります。

話は【Let the Right One In】です。ごめんなさい。

途中でオスカー少年が、ちょっとエリちゃんの事怖くなっちゃって引くんだよね、戸惑っちゃってね。

それでね、エリちゃんがね、ドアをガンガン、ガンガン、叩いて叫ぶんだよね、超恐いの、こっちも。エリちゃん、まじ鬼気迫ってるから。「入れて!入れて!」って。

http://41.media.tumblr.com/tumblr_mcfmyzegnf1rjg9kyo1_1280.png

私を入れてって叫んでいる、そのオスカーを失う恐怖だよね。ほんとは「私を受け入れて」ってエリちゃんは叫んでいる。それがこっちの胸に迫ってくるし、魂を振り絞ってるかんじの彼女がたまらない。(とはいえ、ドアを開けたら、こっちが食われるんじゃ!?と超怖いんだけど) 

http://images4.fanpop.com/image/photos/19400000/Eli-Oskar-let-the-right-one-in-19405164-508-286.gif

 で、タイトルですが

 【Let the Right One In】

は、吸血鬼と言うのは招かれないと家に入れないからと言うことらしいんですけど

そのほかにもIMDBのトリビアによると、モリッシーの曲の

Morrissey... Let The Right One Slip In - YouTube

のタイトル「 Let The Right One Slip In」から、もじったらしいです。知らなかった。

www.imdb.com

 でも、この the Right Oneという単語。さあ、最後の着地はここですね。

コレだけ考えた場合、「正しいもの」とか「ふさわしい者」とか「ぴったりのもの」とかになるんだろうか。なんか「変わり者」って意味もあるみたいです。

 

で、私は、シンプルに考えたいと思います。この映画はタイトルがもう全てを物語っているのですごく大事だと思うんだけど「なにが正しい」とか「なにが良い物なのか」っていうのは、やはり主体的に経験則からしか決めるものなんじゃないか?と思うんですね。社会にとってエリちゃんは、あくまでも悪であり、あくまでも犯罪者に過ぎない。でも、少年オスカーにとって、彼女はthe Right Oneなのだと思うわけですね。そういうふうにオスカーは感じた。だから彼は選択するわけです。でもそれは、破滅とか悪人との逃避行とかじゃなくて、大人になろうとするわけです。自分の選択に責任を持とうとするわけです。今はまだ子供だけど、大人になりたいと、もっともっと強くなりたいと思うわけです。そこがね、そこが、たまらんわけですね。こっちはね。

 

だってそれこそが、自立をしようという最初のワンステップだから。

そして、対象が恋人や友人でなくてもthe Right Oneな行動とかも在るわけです。そのときそのとき、自分で「選択」して生きているわけです。めんどーくさいことではあるけれど、どう生きて、なにを食べて、どんな死に方をするのかということは、すべてココの責任に委ねられていて、そのたびに私達は自分にとってのthe Right Oneを選択している、し続けて生きているのだとおもうのです。

それに、人間も生きている以上、すべての生存には殺生が絡んでいるわけです。ベジタリアンとて、例外ではありません。野菜はちゃんと、生きている。たまたま人間の血が主食だったエリちゃんは、運が悪かった。それは不幸なのかどうかすら、時が永遠すぎて最早わからない。かといって、そういう自分を呪った所で、自分が違う存在に変わるわけではないのです。そういう自分で、永遠に近い時間を過ごしていかなくてはならないわけです。

そういう意味では、ホラー・グロ・ヒューマン・ラブ、さらには社会派の問題提起的な部分も孕んでいる、それを感じさせる、そういう映画でした。

 

ちゅうか、深読みすんのが、趣味だからさー。許して。

 

以上、「私のエリ 200歳の彼女」でしたー。疲れたー長かったな。

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