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超ホモ・サピエンス日記サテライト。

このブログはノンフィクションです。

中庸。

私は、中庸と言うのは在るんじゃないかと思う。

で、とりあえず、それを検証してみようと思う。 

ちゅう‐よう【中庸】

  1. [名・形動]かたよることなく、常に変わらないこと。過不足がなく調和がとれていること。また、そのさま。「―を得た意見」「―な(の)精神」
  2. アリストテレス倫理学で、徳の中心になる概念。過大と過小の両極端を悪徳とし、徳は正しい中間(中庸)を発見してこれを選ぶことにあるとした。

出典:デジタル大辞泉

 

また英語では Moderation だそうです。 

 で、ここでアリストテレスが出てきたので、この方面から責めてみましょう。

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/a/ae/Aristotle_Altemps_Inv8575.jpg/200px-Aristotle_Altemps_Inv8575.jpgこんなおっさん。

 以下、wikiより引用。

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中庸 (ギリシア哲学) 

中庸(ちゅうよう)とは倫理学(特にアリストテレスのそれ)において、の一つ。

ニコマコス倫理学』のなかで、アリストテレスは人間の行為や感情における超過と不足を調整する徳としてメソテース(中間にあること)を挙げた。メソテースとはギリシャ語(ギリシア語: μεσοτης, Mesotes)であるが、英語ではGolden Mean(又はHappy Mean)と言う。日本語訳ではこれに中庸という儒教用語をあてた。例えば、勇気は蛮勇や臆病の中間的な状態である時はじめて徳として現れる。アリストテレスによれば、この両極端の中間を知る徳性が思慮フロネシス、実践知)である。

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ほう。なんかむずかしくて、よくわかんねえな。

おいら、哲学ってあんまり敢えて学ばないようにしてきたんだよね。

まあ、これでいうと、golden mean =メソテース=中庸 ってことなわけ?

あっしは、アリストテレスより、プラトンのほうが好みっす。

でもまあ、敢えてまとめるなら【まんなか】ってことで、よかですか?

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次。儒教

中庸

中庸(ちゅうよう)とは、儒教において、「四書」の一つであり、またその中心的概念の一つである。

「中庸」という言葉は、『論語』のなかで、「中庸の徳たるや、それ至れるかな」と孔子に賛嘆されたのが文献初出と言われている。それから儒学の伝統的な中心概念として尊重されてきた。だがその論語の後段には、「民に少なくなって久しい」と言われ、この「過不足なく偏りのない」徳は修得者が少ない高度な概念でもある。

古代ギリシャでは、アリストテレスの「メソテース」ということばでそれを倫理学上の一つの徳目として尊重している。また、仏教の中道と通じる面があるとも言われるが、仏教学者によれば違う概念であるという。

 

 んーとこれも【まんなか】ってことで、よか?

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で、基本的な概念、入れたら、いったん離れましょう。学問的なことからは。

 

宇宙は 、とりあえず、中心がないですだ。

それはなぜかと尋ねたら・・・端っこと端っこが、わかんないから。

ビッグバン - Wikipedia

宇宙のインフレーション - Wikipedia

観測可能な宇宙 - Wikipedia

で、そのへんは難しくってもう、僕には説明なんて出来ないよ・・・と言うわけで

wikiで理論を理解していただくこととして、と。

 

宇宙の端っこは、確認できないじゃあないですかーたぶん。

これは、共感してもらえますよね。だいじょうぶですよね?

 

で、通常【まんなか】って、端っこと、端っこが「固定」されてると、決まるでしょ?

 

                 ここ真ん中

                    ↓

■________________________________

 

あと、面だったら、全ての端っこから、等しい距離の交点。

http://www.yassembo.net/toyochan/TDSpeaker3/PICT2895.JPG だから、コンパスの中心の穴の場所。

 

そしたら、 逆に、ゼロ地点って言う考え方も出来ますよね!?

http://benkyo.me/wp-content/uploads/2015/01/jiku1.png

これなら、端っこが分かっていなくてもいいじゃない~。いいね!

でも、そもそもゼロ地点がどこか分からないじゃない?

だから、アリストテレスも、論語も「まんなか、まんなか」騒いでいるわけですよ。

 

で、結局

【まんなか】確定するには

【はしっこ】がわからないといけないと・・・

と、いう所まで、はるばるやって来ましたよ、函館。

 

で、「中庸」の対象がなにかってことで思うんですけど、客観的に見られるものなら

意外と「端っこ」って分かると思うんですね。たとえば、それが人間なら

「対象を客観的に見ている他者」とかさ。

その人の最低から最高まで完全把握してる人なら、その人の中庸な状態がわかるかも。

 

でもね、コレ自分だと、けっこう難しくない?

 

で、次の問題。宇宙が膨張し続けて、端っこが確定していないように

人間も、生きている限り、成長している、もしくは、退化しているから

端っこも、変動するんだよね。

 

先ほど、述べた他者は、あくまで「神」では無い普通の人なので

完全に、可能性も含めて、最低と最高を理解できているかと言うと、それは難しいことになるし。

だって、知らないうちに相手は変化して、最高記録更新しちゃっているかもしれない。

そうしたら、端っこが「変わる」から、中庸が「間違う」ことになるよね。

 

で、今度は社会的に「中庸」とか言う場合。

これは、自動的に「端っこ」決めてるよね。仮定みたいな感じで。

でも、それは中庸と言うより、平均になるけど。

 

宇宙も、「太陽系」とか「銀河系」とか決めちゃえば、確かに中心決められるかもしれない。それでも、太陽系自体が、おそらく形は変えるはず。正確な、「中庸地点」はおそらく、「常に動くことになる」

 

つまり、中庸とは、変化するわけですよ。動いてるの。

だから、提示することが難しい。

 

アリストテレスは、間違っている。中庸が常に一定であるというのは、森羅万象が動かないと理解した場合のみで、彼は宇宙が膨張している事を知らないからだ。

 

あとね、例えば、もしも「中庸である状態」にある人間が居たとして

その人間は、中庸であることによって、どんな恩恵を得られるかどうかと考えてみる。

 

ようするに「私いま、中庸だわーよかったー」みたいに、実感できるのかどうか。

ここが、中庸を規定できない一番の理由になるんじゃないかと思うんだけど。

 

中庸な状態 = 無感覚 だと思います。

 

つまりね、痛みも苦しみも無い状態。でも、特に快も無い。

気持ちよくもない。

くるしくない。

痛くもない。

なにもない。

普通。

無。

 

だから、中庸って「わかりづらい」んじゃないだろうか。

徳が在るっつってアリストテレスは褒めてくれるらしいけど、

中庸な状態の人の恩恵を受けるのは、主に周囲の人間であって

本人は「なんのこと?」って感じでしょう?だって「まんなか」だもん。

 

んーーーー。。。。

今思ったけど、おなかの中にいる状態の胎児は「中庸」かも!?

 

というわけで、中庸とは、なんせ変動する状態だし、無感覚なので、キープするのは大変ハードルが高く、それを提示するのも難しいですが、私はやっぱり在るんじゃないかと思います。

 

でも、むずかしく考えなくっても、自然って勝手に中庸になってるよ。

人工的なモノは破壊されるし、行き過ぎたら、揺り戻しが来て、中庸に戻る。

中庸に戻ろうとするベクトルが、確実に自然界には働いている。

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