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超ホモ・サピエンス日記サテライト。

このブログはノンフィクションです。

本を読むことと、音楽を聴くこと。

本を読むことも好きだし、音楽を聴くことも好きだ。

最近は、本がほとんど読めなくなってしまっていて、とても残念だけれど。

 

本を読むこと。と、音楽を聴くこと。は、ちょっと似ているけど、違う。

 

本を読むことをしていると、【孤】になっていく感じがする。

孤独で寂しいとか言う意味じゃないよ。

そうじゃなくて、「ひとり」という存在に、よりどんどんなっていくような感じがする。もともと、読書をする時っていうのは、ひとりでするもんなんだけどさ、それだけじゃなくてね、物語の中に没入していくその世界の中に入っていくんだけど。その世界は、もう完成されていて、完結しているわけだ。もう閉じられている世界。

 

わたしは、部外者だ。

 

でも、ものすごく近い場所で、その世界に「居る」ように感じる。

なんなら、時には、触れられそうなぐらいに、近い。

 

でも触れられない。完成されているから。

 

物語を読むという作業がこんなにも孤独な作業なら、物語を作るっていう作業は、もっともっと、孤独な作業にちがいない・・・とかってことを、想像する。

 

対して、音楽を聴く行為っていうのは、もっと開かれている。

世界とつながっている感じがする。

広い場所で、世界がその視界の前に地平線まで広がっていて、その場所に招かれるような感じ。招かれたっていうのは、まあ、自分で選んでその音楽を聴くわけだから、自分から行ったわけだけれど、でも、空気感としては「招待された」

だから、孤独じゃない。孤独じゃないんだって言う事を感じるようなココロモチ。

そういう気持ちで、音楽の世界にINする。

 

で、なんでだろうと、ずっと思っていたんだけど。

こういう風に、ブログを書いてみることで(なんせ、初体験じゃけんの!)ブログを書くっていうことに、全く興味が持てなかったんだけど(読むのは好きだけど)書いてみて初めて分かったことがある。

 

それは、文字にするということは、終わらせるということなんだと思う。

 

文字として、封印する、というか。

 

文字の起源って、多分、壁とか、木とか、そういうものに「刻んだこと」からはじまったんだよね?多分。たぶんなにかの目的を持って、意思の伝達とか、後世に残すだとか、いたずら書きだったとか。とにかく、書いたら、もうその事を考えなくていい。

 

書いてしまえば、終わってくれる。

 

よくさ、自己啓発とかそーいうやつで「文字にしましょう」みたいな事いわれるけど

それも、終わるからじゃね?

 

終わらせたらいけないことは、終わらせないで、ずっとそのテーマを抱えて生きていく。んで、生きて行く過程で、多分そのことに対する考察が深まって、そんで、そのことが、あらわにはっきりと輪郭を顕してしてくる。

 

はっきりと、把握・掌握・理解できたら、文字にして、封印して、大事にしまうか忘れちゃう。そうすることで、ひとつの時代が終わるんだ。大げさだな。

 

でも、なんかそういう風に思う。

で、ものすごく大事な大事な、いちばん伝えたいことって、なかなか文字にすることが難しい、もとい、文章にするのは難しい。

 

でも、なんどもなんども、トライする。

あきらめない。

チャンスが来るのを、じいいっと、考えながら、焦らないで、待つんだ。

 

伝えたいことって、その物事が大きすぎて、で、スピリチュアルとかポエムじゃないから、そのリアルな手触りをどのように他者につたえればいいのか、いつもいつも考えている。そうして、そういう風にして、どうにかこうにか言葉が降りてくる。

 

で、その時は、真っ白だ、真っ白の状態だ。

自分はなくて、文字だけがここにOUTPUTされてくる。

脳みそは通過していない。脊髄反射みたいに、胸の中心あたりから、このキーボードを叩く指が勝手にどんどん動いている。動いていく。今まさにその状態だ。

 

音楽というものが、開かれていてやさしいのに対して、時に文章は閉じていて冷たくて痛い。でも、それこそ、両方があってこその、生きるという全体像。

 

生きてることっていうのは、開かれていて、閉じてて、暖かくて、冷たくて、ときどき、ものすごく痛い。でも、ときには、空も飛べちゃうんだよ♪


スピッツ / 空も飛べるはず

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