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超ホモ・サピエンス日記サテライト。

このブログはノンフィクションです。

カズオ・イシグロ氏。

カズオ・イシグロさんは、長崎出身だとか見た目は非常に日本人的印象を与えるけど、わたしには中身が完全に「イギリス人」だとしか思えない。ただ、人間にはルーツというものが厳然とあるので、彼と日本との関わりという物はとても深いのだろうと思う。どうみてもアジア人に見えるわけだし。それはきっと反映されてる。

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 というわけで、日本でTVドラマ化ということで、いっちょ書いてみようと思います。

www.nhk.or.jp

こんなんあるんだ!これは、NHK版TEDなのか?そうなのか?

私はTVを所有していないし新聞も購読していないしスマホも持っていないので、とっても色んな事を知りません。ほとんどなんにも知らないで生きている。だけど少しずつは情報は入ってくる。2週間ぐらい、遅れるけれども(笑)かなり偏っているけども(笑)なぜだろう。でも、そのタイムラグのおかげで、情報が取捨選択されて重要なやつだけになってやってくるので私的には便利なのですが・・・(笑)とりあえず自分がとても無知でほとんど常識がない人間だと言う事の自覚はちゃんとあります。気を付けなくっちゃ!!!といつも思ってる。ほんと、よのなか分からないことだらけ。

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カズオ・イシグロさんはこの作品(の原作)の方で、89年にブッカー賞を受賞したので一番有名だと思うんですけれど、コレを読むとやっぱりアイデンティティの中に、余り日本人的なモノは感じない。でも!でもというか、すごくやさしく触るんですよね、繊細にさわる。人間というものに。それは、やはりある種の日本人的繊細さを感じさせるような気がする。まわりまわって、のような感じ。

 

この映画では、アンソニーa.k.a.レクター博士がとても好演。良かった(ニクソンはちょっとtoo muchだった)長い時間を小さな世界に捧げて生きてきたことによって、失ったもの。そして、得たもの。

そもそも、人間の活動範囲や生活範囲というものは、それほど大きなものではないと思う。実際には、ほとんどのことを「知らずに」生きていくわけだと思う。生きていくので精一杯で…っていうのは別に貧乏人だけではなく、大富豪でも、大統領でも、どんな人でも同じことだと思う。全てを知り、全てを体験して、生きていくことはどんな人間であろうが不可能であるのではないかと思うから。

人間が何を信じて、何を正しいと思うのか。彼にとって彼を支えてきたものはご主人様に対する敬愛と尊敬の念。それを体現することが彼にとっての「生きる」を支えること。目的。そして【その人の生きる事を支えるもの】ということは、すなわちアイデンティティというものと(≒)であるのではないか・・・と私は思います。それは価値観だとか色々な表現をされるけれど、結局すごくシンプルなモノだと思うし、そういうものが在るのと無いのとでは、けっこう変わってくるよね、人生自体の進み方が。

 

で、イギリスにとってヨーロッパにとって、ナチスドイツっていうのは、やっぱりものすごく大きい存在ですよね。私たち日本人とは感覚がちがう。この2016年になっても、やっぱりその存在の大きさは、いまだに時折頭をもたげてくるし、その「こと」の影響というのは、もっともっとこの先も長い時間続くんだろうと感じる。

 で、そういうこともこの物語の重要なポイントの一つだと思うし、カズオ・イシグロさんというのは、本当に勇敢な作家のひとりだと思う。心から。

わたしを離さないで (ハヤカワepi文庫)

わたしを離さないで (ハヤカワepi文庫)

 

 わあ、306件もブログで取り上げられてるから、きっとそちらの方が読む価値がある(笑)すごい!うれしい!

 

では、私は映画のほうでいきます。

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最初見始めるとね、なんか孤児院みたいな感じなんだけど、なんか変なんだよね。そして、彼らも「なんか変だよね?」って感じながら、育つんだよね。そして、私たちも同じようにその思いを抱きながら、スクリーンを見つめることとなる。登場人物たちと同じように、体験するの、その不可解な感じを。そして、成長するにしたがって「少しずつ、わかってくる」わけですよ。で、その仕組み自体は、少し軸をずらしているだけで、私たちと実は同じ。で、これはマイノリティというものの逃れようもない状況というものにも置き換えることが可能だと思います。

 

このお話は、本来は一切の前情報を入れずに読む・もしくは観るのが、本当は作法のようなもの(笑)だと思うんだけど、もうネタバレしてしまってるんですよね・・・だから仕方がないけど、この物語でもカズオ・イシグロ氏の勇敢さが炸裂していると思うんですね。

 

勇敢であるっていう表現はなんか変ですけれども、物事を自我のフィルターを通さずにそのままに表現することって、とても難しくて、とてもとても怖いことだと思うんです。誤解される恐れが非常に高いわけです。そこにあるものをそのままに、描写することは、それ自体がハードルが高い。むずかしい。で、なかなかそれをするのが難しいから、映画や小説というものを作り上げる作業っていうのは、作り手にとって非常に大きな胆力や強靭さみたいなものが必要になると思う。たくましくなければ、ギリギリまで耐えられない。こう・・・なんていうか・・・アスリート?とかみたいな?シンガーの人とかもそうだと思うんですけど肉体労働ですよね。肉体が存在していないと、精神が描いたものを、物質的に出現させることは出来ない。どんなイマジネーションが渦巻いていようと、形に出来なければ、実体を持たせなければ、他者はそれを受け取ることすら出来ないわけです。そこで肉体が介在しなければ、形にすることは出来ないんです。

 

あれ、なんか熱くなってきちゃったな。ちょっと、クールダウン。

 

キャリー・マリガンさんとの出会いは、そう「17歳の肖像(2009)」で。

ひとめ出会ったその日から・・・恋に落ちたねーいやーかわえええええええ。

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これは、ざ・成長物語ですけど、「ごーんがーる」でサイコな大活躍をされた、ろざむんど・俳句様が美しい!このときは美人というより母性を感じた!ろざむんど大好き。「ごーんがーる」はフィンチャー史上私的ベスト映画なのですが、それはまた改めて!

https://c2.staticflickr.com/6/5454/7161370582_979d1fd9ae_b.jpgなんか、ママンってかんじ。

この映画自体は、それほど出来がイイワケではないけれど、かつて女の子であった人たちが見たら胸がぎゅうっと掴まれるのではないでしょうか?この背伸びしてるツモリはないのに、してしまう感じの想いには10代の頃をうっすらと思い出せれば、誰しもほんのり心当たりが在るはず。私は完全に主人公に自分重ね合わせたよーおこがましくもね。ほんっとにキャリーマリガンはかわいい。今のブロンドショートも可愛い。ギャッツビーでも可愛い。いつも可愛い。リスっぽい。彼女が本当に素晴らしい。

17歳の肖像 (字幕版)

17歳の肖像 (字幕版)

 

 17歳ネタでは、カルテもありますね。私はカルテで「世界の、あんじー女王様」を始めてみて「うわーこのひと、いいっ!!」って大興奮したんですけど、その後、ちょっと縁遠くなっちゃって。なんか、私の願望とはちがう方向に行った。でも、彼女という人は女優という枠に収まる器じゃないんじゃないでしょうかね。もっと、デカイ事やるおひとじゃないかと、そう思うんですが。

 

で、戻りますが 、もうひとりの主役、きーら・ないとれー嬢は、私はどうも栄養足りてないように見えるのよね昔から。ご飯食べてなさそうでしょ?血色も悪いし。「ちゃんと、ご飯食べてる?」ってお弁当差し入れしたくなるタイプだよね。

でもそういう彼女の、そういうところが、この映画では、光ってた。

人間にとって、愛情とか、とか、呼ばれる感情というもの。

それの、基礎になるものっていうのは「親に対する、慕情のようなもの」 なんじゃないかと私は思うんですね。すごく大きな視点、枠組みという意味で。

 

それは、とにかく無条件で、理屈の通用しない、人間にとっての「本能的な」もので、非常にあらがい難いもの。あらがいがたい、なにか。

もう実際の親に対する想いを越えたもの。もちろん、それは大いに関係があるとは思うんですけれど。でもそういう特定の何かに収まらないスケールを感じるのです。

とにもかくにも、それは例外なく全ての人の中に、在るのではないかと思うんですね。人間自体がそういう風になっていると思う。これは、例えば人工授精だったり精子バンクだったり養子にだとか養親だとかに、関わらない。関係が上手くいっていないとか、断絶しているとか、もしかしたら、遺伝上の実際の親とはまったく関係すらしないのかもしれない。ルーツというものに対する、抵抗の出来ない、憧憬のような、焦がれるようなもの。うまく伝わるでしょうか?

 

で、だから精子バンクで人工授精された子供が、深い理由や動機を言葉で説明することもできず、ただ純粋に「親に会ってみたい」と思ったり、親探しをしたり

ほんとうのお母さんに会ってみたいと、行動を起こしてしまったり

秘密と嘘 (字幕版)

秘密と嘘 (字幕版)

 

 言葉では説明の出来ない、自分のルーツに対して、強烈に無視できずに惹きつけられる感覚。それは、人間であるだけで、どこかで共感できるのではないかと思います。

 

そして、この「わたしを離さないで」というお話の場合、クローンにとって、その親に相当する存在というのは、クローン元の人間なんですよね。

 

「そっくりなはずだから、見てみたい」っていうのは、表面上、そういう言葉として出て来る。興味がある、会ってみたい、という表現になる。

でもほんとうは、ものすごくシンプルなこと。

「おかあさんに、会いたい」

なんだと思う。

魂が求める。

そのひとが居なければ、私は存在しえなかった。

その思いは強烈で、私たちは、立場がまったく違うのにも関わらず、

思わずそのこころのありようが、わかる。感じる。

 

そして、だがしかし、彼らは知っている。

人間と、自分達の、成り立ちが、違う事を。

そして、私たちは知っている。すでに。

私たちと、彼らは、なにひとつ、違わない事を。

 

こんな風に、真っ直ぐに描くことのできるカズオ・イシグロ氏の勇敢さに、私はひれ伏す。素晴らしかった。多くの人たちに、原作を読んで欲しい。

そして、TVドラマを観て興味を引かれたら、イギリス版の映画を。

是非、観てほしいなと、心から思います。

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