超ホモ・サピエンス日記サテライト。

このブログはノンフィクションです。

やりたくないこと。

 人間は、自分がやりたくない事を、一生懸命、心をこめて

精一杯、やることが出来るのか?

 

出来ます。

 

そういう人間は、実在します。

リアルに深く知る人間に限定しただけでも、3人居ます。

そのうちの1人は、私自身です。

 

ただし、これは、その人間の個性によって変わるのではないかと思いますが、私の場合は長くは続きません。

体が、病気になるからです。

私の場合は体が頑丈な方ではないので、途中でドクターストップかかります(大げさ)

 

人によっては、長く続けられる場合もあると思います。

でも、必ず、その代償があるような気がします。

 

また、この場合、「一生懸命」という所が、ポイントになります。

やりたくない事を、いかにも「やりたくない臭」ぷんぷんで、愚痴を言いながら、手を抜いて、いい加減に長く続ける場合は、コレに該当しません。

あくまでも、周囲の人間は、「その人が、それを、本当に望んでやっているのだ」と感じてしまうぐらい、一生懸命やっているケース限定に致します。

 

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【有紀さんのケーススタディ

有紀さんは、高校生の頃に、余り好きではない友人に非常に好かれていました。

もともと、誰に対しても「感じのよい」人間であった有紀さんは、基本的に誰かを嫌いだと感じたことは、ほとんどありませんでした。

ただ、あるきっかけによって、余り好きではなかった友人と

「ずっと、友達で居る」

という、約束を交わすことになります。

 

そして、その約束は、有紀さんを、少しずつ苦しめることになります。

最初の頃は、コレまでどおりの友人関係を続けることで、問題はありませんでした。ところが、相手の友人が、少しずつ独占欲を発揮し始めるようになります。

例えば、有紀さんが他の友人と仲良く話していたり、楽しそうに笑っていたりすると、その彼女は嫉妬の満ちた目で、どんなに遠く離れた場所からでも、じっと見つめてくるようになりました。

有紀さんは、いつも彼女の視線を、痛いほど感じていました。彼女自身も、気がついているのかいないのか・・・おそらく無意識でもあったのでしょう。だいたい、ものすごく悲しそうな表情を浮かべていました。

また、ボディタッチが増えてきました。やけに、触る。手をつないでくる。

 

有紀さんは、特に彼女の事が嫌いだったわけではありませんでした。むしろ、好意を持っていたといっていい。その彼女は儚げで、どこか守ってあげたくなるような、相手の庇護欲に訴えかけてくるような、繊細な女の子でした。

 

しかし、そういったことが増えてくるにつれ、日を追うごとに段々その状況が重くなって来ました。彼女の想い、彼女の視線、彼女の弾んだ声、彼女が有紀さんに見せるうっとりした表情、その全てに、吐き気をもよおす様になります。

 

だがしかし、それは外に現れることはありませんでした。有紀さんは、いつも柔らかな笑顔で、彼女に接していました。周囲の同級生にとっても、おそらくそう映った事でしょう。むしろ二人は仲良しと思っていたことでしょう。そして、有紀さんにとって、人に接するということは、そういうことでした。他者に対して、穏やかな態度で向かうことは、そもそもデフォルトであり、小学校の同級生に確認したとしても、彼女がそういう人であったというのではないかと思います(いやー、ちがうかもなー、自分がそう思ってるだけかも…笑)

 

彼女の事を考えるだけで嫌悪感で鳥肌が立っても、有紀さんはニコニコと彼女と話したり笑いあったりしていました。日々が、地獄でした。自分だけが、唇の端が笑うたびに引きつって痙攣していることを知っていました。より一層、笑顔に磨きがかかりました。他者にばれないように、女優のように笑っていました。そうすることしか思いつかなかったので。そんな生活が半年くらい続いたと思います。彼女への嫌悪は、日増しに大きくなり、そのこと自体が有紀さんを苦しめました。「彼女は私に好意を表現してくれているのに、私は彼女に応えることを拒否しているんだ」と、罪悪感に苛まれていました。誰かを嫌いだと、思ったのはコレが生まれて初めてでした。ある特定の人間に、自分がここまで嫌悪感を抱くのだと、このとき初めて知りました。

 

いつの頃からか、有紀さんは、彼女の前でヒトと話す事をやめました。基本的に相手に話しかけられたら、にこやかに対応するけれど、自分からは話しかけない。学校に着いたら、席に座って本を読み始める。授業が終わったら、本を読み始める。お弁当もそれまでの仲間と(運のイイことに、お弁当仲間は彼女は別のグループでした)普通に輪になって、5分で食べ終え、歯を磨いたら、また本を読み始める。背中からは集中オーラがビンビンに発せられて、ほとんどの人に「話しかけないで」光線を振りまいていたことと思います。死ぬほど、孤独だった。でも、私が孤独なら、彼女は文句無いだろうと思った。いつか私を嫌いになってくれるだろうと、望みをつないでいた。

 

ある日、お弁当を食べていたら、右側の唇の端からぽろっとご飯がこぼれました。「あれ?」と思って、また、食べる。ポロ。右側顔面麻痺でした。検査をしても原因は不明です。病院では「まだ若いから、精神的なものでしょう」ということでした。

 

ストレスといって、思い当たることは、ただひとつ。でも、そのことは誰にも言いませんでした。「ストレスを軽減しましょう」と言われた所で、私は困っていました。「とにかくこの生活を続けるしかないと思っていたので。そして、原因不明の高熱(42度)が一週間続いて、ビックリしました。その高熱で、もう腹をくくって、死ぬ気で卒業だけしようと。学校に、何食わぬ顔で行き続けるしか道は無いと思っていたから、高校卒業までそのあとは一日も休まず行きました。

 

【まとめ】 

というわけで、「大嫌いな人にも、一生懸命、笑顔で、心を込めてやさしく、精一杯、親切に接する事を続けていると、顔面麻痺になって高熱がでる」という一例を、お送りしました!

 

私は多分頭が悪いので、ストレスがかかっても、精神的な面ではほとんど自覚症状が出ません。ある日突然、肉体症状となって、出ます。

 

心というものは、私にも完全に理解できないとても大きな存在だと思うので、上手く言えませんが、意外と「脳」や「意思」のチカラによって、苦しんでいても、ねじ伏せることが出来るのだと思います。だけど、心をねじ伏せて「やりたくない事を、無理やりに、一生懸命、やらせ続ける」と、結局は「体が、悲鳴をあげる」ので、結局、その状態は、短期間しか続かないのではないかと思います。

でも、ゴールが分かっていれば(例えば、一年間限定とか)頑張れると思う。 

 

意外とこういう手法で、やりたくない事をやっている人も、少なく無いんじゃないかと思います。ただし、ゴールが見えないと、ほんとうに辛いと思います。

期間を限定してやることは、とても大事なことだと思います。

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【有紀さんの父親のケーススタディ

有紀さんのお父さんは、詳しい事情は差し控えますが、自ら希望して、大きな責任を負う事を選択し、その決断を自ら実行しました。だいたい30歳位かな?重い荷物を、背負いました。

 

もともとマイペースな彼でしたが、とにかく死ぬ気で働き、自分の責任を全うする為、そして、人間的にも成長する為、日々、真面目に努力し、一生懸命、精一杯、やっていきました。

 

彼の心のうちは、私にも分かりません。でも、おそらく結構辛かったのではないかと思います。まあ、どちらかといえば、向いていない事をやり続けたのでしょう。彼は、多発性脱毛症というものになりました。ブチブチな感じに、髪の毛が抜けていく病気です。どんなに治療しても脱毛は止まりませんでした。いろいろと手は尽くしましたが、結局、加齢によるハゲではないことは誰が見ても分かる状態でした。

 

それでも、彼はハゲを進行させながら、その生活を全うし30年継続しました。

弱音は一度も聞いていません。黙ってやり通しました。

そしてその全ての責任が全うされた後、全てを捨てて、イチから自分のやりたい事だけをやって生きています。メリハリ、あり過ぎ(笑)

 

【まとめ】  

やりたくない事を、一生懸命、やることが出来る場合もある。

本人が、その「やりたくない事をやる」事によって、

確実に「欲しいものが手に入る」ということを確信している場合

で、なにか信念のようなものがある時には、可能になるように思います。

大きく物事を見た時に【やりたい事の中に、やりたくない事が含まれている】場合も多々あって、大きな目標だけに目を向けて、自分の視線を大きな目標から離さず、目の前の辛い事をこなすタイプの人も居るように思います。結構、デキタ人だと思う。

 

ていうか、この話、退屈じゃない?大丈夫かな?

とりあえず、こんな所でやめておこうと思います。

 

 

でも、やりたくない事であっても、一生懸命やると、なんか、学ぶこととか沢山あるような気がします。私は「二度とこういう事はしない」とか、心に決めたし。

真剣にやればやるほど、本当にこたえるから。

 

私は、二度と、

やりたくないと感じることは、絶対にやらない

と、決めています。

 

どんなに、他者からの要請があったとしても。

それは、やりたくない事を、本気で全身全霊かけてやったから、そう思うようになったんだと思います。だから、あのとき一生懸命頑張って必死でやって良かったと、今は心からそう思う。長い時間かけて、その事を直視してきたおかげで、いまこんな所にたどり着いた。そして、今は彼女に対して、感謝の気持ちすらあります。あのことが、私の自我を目覚めさせる大きなきっかけになったこと。あの時の私がもっと大人だったら別の方法があったのかもしれないと、時々考えます。そう考えると、とても切ないけれど。

 

あと、思うことは、やりたくない事をやらなくてはいけない時は、

どちらかといえば、一生懸命やったほうがいいんじゃないかと思います。

やりたくない事を、嫌々やり続けると、それは、「やりたくない事をやってる」事実よりも、「嫌々、何かをやっている」自分の方がインパクトが強くて、そっちの方の影響が強い。だから腐るので「嫌々やる」事の方が、危険性が高いように思います。

 

あと、本心ではやりたくない事なのに、自己洗脳みたいなのをして、「これが、私のやりたい事なんだ」みたいに捻じ曲げてやりぬく場合も、変な風になる危険性が高いと思います。こういう場合は他者に対して、へんな攻撃したり、責任転嫁したりすることが多くなると思うので、自分が何を望んでいるのかについては、なるべく、真剣に、真面目に考えてみるって言うのは、とっても大事なことじゃないかな・・・と思います。

 

自分自身も、常に疑う!

まいにち、フィードバック!

座右の銘のひとつ)

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