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超ホモ・サピエンス日記サテライト。

このブログはノンフィクションです。

「偉い」という言葉。

この間、「偉い」という言葉について、書いた。

でも、ずっとその事を考えてきた。

 

どうして、自分は「偉いね」と言われて、馬鹿にされたように感じるのか。

その事をよく考えないまま、文章にしてしまったことが、引っ掛かっていた。

そのことについて、少し考えがまとまったので書いてみようと思う。

 

「偉いね」と言う言葉の優位性

 

私が、他者に対して、「偉い」と言う単語を使わない訳ではない。

どんな時に使うのかな・・・と考えてみた。

 

もし私だったら、そうだな・・・

 

A子ちゃんと、B太くん。2人仲良く、遊んでいました。

2人はまだ、齢3歳。

まだまだ、人の物も自分の物も、あやふやなお年頃ですね。

 

さて、そこにあった赤い自動車のおもちゃ。

ふたりとも、気に入ったようです。

あっ、A子ちゃんがその自動車をつかんで、洋服の中に入れようとしています。どうやら、大変気に入ったようで、自分だけのモノにしたいようです。

とぉぉぉぉお、そこに、B太くん!割って入りましたぁ~~~。

闘いのゴングが鳴り響きまあーーーすぅーーーー!!!

 

2人の奪い合いっ!!激しいっ!激しく2人とも、赤い自動車をめぐっての熱いバトルを繰り広げていますっ!!!おーおっとおー、B太くん、身もフタも無いですね!歯をむき出して怒っています!猿のようです!あ、何か言っていますっ!「ぼおおくんものおお」A子ちゃんも、負けてはいません。B太くんの肩の辺りをペチペチ猫パンチです。「びええええええええ、えええ、えええええ」おっとぉ、泣き出しました!

 

と、ここで、泣きだしたA子ちゃんを見て、B太くんの動きが止まりました。なんだか恥ずかしそうな表情でA子ちゃんを、見ています。ん?これはっ・・・A子ちゃんは、泣きじゃくったまま下を向いている・・・向いている・・・・ああっとお!なんとB太クン!A子ちゃんの方に、赤い自動車をっ!あんなに独占欲にまみれて抵抗していたにも関わらず、赤い自動車を差し出していますっ!!!

 

A子ちゃんはーーーと、気が付きました。B太クンは見ていませんが、赤い自動車を見ています。っとおー、A子ちゃん、ひったくったー。赤い自動車をひったくって、走り出しました~~!部屋の端っこの方で、赤い自動車を抱えて、撫でています・・・うーむ、B太くんには、目もくれません。おおお。すごい。B太クン、赤い自動車をA子ちゃんに、譲りましたあー。これは、予想もしない展開。

 

B太くん、A子ちゃんの方を、黙って恨めしげに見ています。本当は今でも、自分が独占したいのでしょう・・・恨めしそうな、未練のありそうな表情を浮かべています・・・・・・・・・・・

 と、ここまで2人のやり取りを観察していたとしたら・・・

 

私は、B太くんのそばに行って、彼の目を見ながら、

「偉かったね」と言う言葉を掛けるんじゃないかと思います。たぶん。

 

「B太くんは、やさしいね。譲ってあげたんだねー」

「おばさん、そんなB太くん、だいすき」

ぐらいおまけで言っちゃうかも。

 

で、ここから、考えてみよう。

 

「偉い」と言う言葉。

 

これは、本来、上から掛ける言葉では無いでしょうか?

 よしよし、お前は偉かった。褒美を授けてしんぜよう。ふぉっふぉっふぉ。

 

私は、犬にも結構言っちゃいますね。

犬って家族になってしばらくすると人間が喜びそうな事を自分からするようになるんですよ。自分で付け加えてくる。そんなの、教えてないのに。

 

こちらが予想もしていない事を、時々先回りしてやるんです。お散歩に行く前に、いつの間にかこちらに背中を向けて、黙ってお座りしていたりする。気が付いたら隣に座ってたりとか。

それは、背中についている金具に「カチャッ」って、紐をつけてお散歩に行くので、先に自分から「背中を」アピールしてくるんですね。なんとなく、自分で考え付いて、それが勝手に習慣化した。

 

で、これは教えていないことなので、やった時に「おー偉いね」と褒めた。

それで、犬は褒められて嬉しいから、またやる。

 

本来、犬のこういう行動は、野生のものではなくて、人と共存する過程で身に着けた知恵ですよね、きっと。人間とのコミュニケーションの中で「学習」するので、本来の本能ではない。でも、あえて、人間に喜んでもらおう、ひいては、自分が褒められて、オヤツのひとつも貰えるかも知れない・・・という、下心もあります。だから、自発的に、「あえて、野生ではやらないのに、人間との生活を円滑にする為に、そういう行動を取る」ワケです。犬が人間にとって、最も共に活動しやすいのは、人間のパートナー動物として改良を重ねられて来たからでもあります。人間に都合の良い様に、犬はさまざまな性質をより、強化させて今日まで来ているんです。

 

犬は、とても合理的で論理的な動物なので、結構サクサクこういうのが身に付きやすい。自分が得するなら、ちょっとくらい野生を横に置いといて…みたいな現金な事を意外とするんです。で、こちらは「偉いね、ほんとうはしなくてもイイことなのに、わざわざやってくれたのね」っていう感じに、褒めてあげることになります。

 

で、これも基本的には犬に人間が「偉いね、ありがとう」って言う訳です。

感謝と褒美を授けるわけですね。なぜなら、お財布握ってるのは人間だから。

だれかが管理してるだけ。べつに人間が偉いから管理してるんじゃない。

とりあえず、リーダー担当、っていうだけ。どっちがやってもいい。

 

偉い兵隊さん

 

で、かつての大日本帝国時代とかにね、よく子供が

「大人になったら、自分も偉い兵隊さんになりたいですっ!」

とかさ、よく台詞でもありますよね。で、それって、子供が自分の頭でね

「兵隊さんは、偉い」って、感じて思って、言ったんじゃないと思うんですよ。

大人たちがね「兵隊さんは、偉い」って言ってたんですよ、多分。

でね、さらにいうとね、大人たちに「兵隊さんは偉い」ってことを、広めるのにね、何を使ったかって言うと、多分、天皇陛下です。

当時はね、天皇陛下は日本という国にとっては、とてつもない権威なのではないでしょうか?そして、天皇陛下自身の意思なのかどうかは不明なまま、世の中では「兵隊さんは、天皇陛下が、きっと偉いと褒めてくださっている、お国の為に働く、立派な方々だ」と、そういう風に、感じていた、もしくは、そういう空気があったんじゃないでしょうか?

 

医者は偉いのか?

 

はたまたね、昔の古いタイプの人は「お医者様は偉い」と言いますよね?

我々、若い世代は、どこか医師に対してもこちらが選ぶ立場と言うか、サービス業見たく考えている部分は否めないんじゃないかなって思うんです。セカンドオピニオンとかね?当然の権利だと思います(私は)

でも昔の人の場合、お医者様って貴重で、その人の意向次第で命にかかわるわけですよね?今より医療も発達していないし、高等教育受けられる人も少ないし。だから「偉い」訳ですけれど、それは高等教育を受けられるわけだからそもそも良家の出身なんです。だからもともと平民より「偉い」ひとなんです。最初から、それを知ってるんです。お医者さんになんかなるような人は、私たち平民よりも身分が上なんだみたいな。さらに機嫌損ねたら大変って言う気持ちもあります。手術すんのにさ、手抜きされたら死んじゃうかもしんないし。だから、ゴマすってる意味もあると思います。

「お医者様は、偉い」「大人になったら、偉いお医者様になりたい」には

そういう複雑な事情も含まれていると思うんですよ。

 

対等な立場で、なぜ「偉い」が出るのか。

 

でね、私はいつも「偉い」って言われて立腹するわけじゃないです。たぶん「偉い」と言われるのにふさわしいシチュエーションがあって、そういう時は多分、何の違和感もなく受け入れます。自分より明らかに上の立場の人から「偉い」って言われたらやっぱり納得するかも。言われたこと無いけど(笑)

 

で、思い起こしてみると大体引っ掛かるのは、対等な立場での「偉い」だと思います。

 

で、これ「えらいねー」「あんたも偉いねー」って言い合ってる仲の良い仲間たちもいらっしゃると思うので、私の場合ですよ!

 

あくまでも、私の場合限定ですよ。私以外の人たちは知りませんよ。

 

今回、料理のケースが続いたので、料理で考えてみました。

 

同じ、女性で、主婦で、母親で、という共通項があったら、多分よっぽど料理嫌いでなければ、どちらもなんかしているはずだと思う。なぜなら、人間は「何かを食べなくては、生きていけないから」です。少なくとも子供がいれば、なにか「料理」もしくは「栄養補給の為の物質」を準備していることでしょう。そして、それは特に「普通」の事だとされていると思います。お母さんが、子供ために、食料を調達する事を「偉いわねー」とは、別に言わないですよね?いや、わかんないけど、普通ちゅうか自然じゃない?これは、たまたま私が女性だったからで、男性でも同じことですよ。自力で捕食できない自分と同じ種の弱い生き物がいたら、餌付けすんだろ。

 

「お仕事もあるのに、大変ね」とはいっても「偉いわねー」って言われたら、私なら嫌味なのかと思う。よく、知らない酔っ払いオヤジに「あんたは~、え・ら・い★」って甲高い声で言われると、おちょくられていると思うんですけど、思いませんか?

そーですか。私がひねくれているんでしょうね、多分。

 

でね、自分が軽いきもちで人に「偉いねー」って言う人は、逆に人から「偉いねー」って言われたら、嬉しいのかもしれない。喜んじゃうのかも。だから、もしかしたら褒め言葉として「偉いねー」って人にも言っちゃうのかもしれない。

 

でもね、私は、この場合の【偉い】は危険だと思います。

なぜなら、前半部分で挙げてきたように、上から目線の言葉だと

誤解される可能性が高いからです。

 

でね、なんで、これ、上からなのか。

この先は、ココまでの論理で納得の行かない方は、読まないほうが良いです。

きっと周りの方々も大丈夫だと思います。誤解は無いと思います。

 

私と同じように、違和感や、引っ掛かりを感じた方には多分分かっていただけるんじゃないかと希望を持って書きましょう。ちょっと、過激かな?

 

まずね、【料理】のテーマで具体的に考えて見ましょう。

★以下全て、仮定のおはなしデス。

 

この場合、その「偉い」と言ってしまう方の人。

その人はね、そもそも普段から、料理の内容や食事行為に対して

  • 自分のやり方は、まだ足りないんじゃないか?
  • もっとやらなくては、いけないんじゃないか?
  • これで、いいのだろうか?

と思っているのではないか。今の時代、例えば無農薬だの、グルテンはダメだの、マーガリンは有害物質だの、ジャンクフードは頭が悪くなるだの、終わりなき情報が氾濫していて、ドナウ川のように、脈々と流れ込んで来るわけですよね。

さらには世の中には、そういうものを一切避けたり、とことんこだわりを実践している人々も、実際にたくさん実在しているわけです。それも事実としてあるわけですよね。

でも、そうしなきゃいけない訳じゃないのに、母乳神話とかもそうだけど、「それをやらないと、なんかダメ」な空気があるとね、自信がなくなるわけですよ。上には上がいるし、下には下がいるのは、ほんとうは当たり前の話なんだけど。

 

お金だって必要だしね、時間だって必要なわけですよね。で、それを捻出できないのはね、努力が足りないからじゃなくて、その実力が無いからなんです。エコな生活を、完璧に出来る人もいれば、限界がある人もいるんです。それは当然過ぎて皆忘れてる。

 

自分の実力で、出来る分だけ、やりゃいいんですよ、本当は。

自分の、限界で、出来るとこまでやったら、それ以上できないんです。

無理してやったら、いつか出来なくなるから、どうせ続かないんです。

 

でもね、世の中は「努力しましょう」とかいうからね。そういう人たちは別に頑張ってるんです。というより「頑張んなきゃ」みたいに、思わされてる。なんとなく。

でね、人によっては料理をするのが、鼻をかむみたいに簡単な何の負担にもならない、むしろ楽しくてしょうがないみたいな、もう作らなくて良いから!みたいな人間も多分いますよね!で、その人はね、遊んでる訳ですよ。楽しんでる。ゲームしたり、ディズニーランド行ったり、するのと一緒。ゲームしててね、誰も「偉いわね」って言わないですよね。ゲームするのが、好きだから、やってるんだね、と思いますよね。

素直に相手の独立した「嗜好」だと受け取れば、特に何もないんですけど。

 

で、ここで「偉いね」が出てくるのは、その人が常日頃から

「料理をする自分に、自信が無いから」

と、仮定してみましょう。

  • どこまでやればいいのか、分からない。
  • どこまで出来れば合格なのか、分からない。

 

これはね、仕事だったら皆が教えてくれますよね?

  • 「ここまでやればいい」
  • 「ここまで、出来れば合格」
  • 「この問題点を、クリアできればOK」

 

でもね、人生に関することは個人的なことなので、基準が無いんです。

「ここまで」とか「合格」とか「クリア」なんて無いんです。

 

それぞれが、自分で納得できるかどうか、が生命線なんです。

そもそも、比較するようなことでは無いんです。

でも、仕事においては、だいたい「比較を軸に」決めて行きます。

「去年より」とか「他社より」とか「前回より」とかね。

 

で、個人生活における労働って、基準ラインが千差万別なはずです。

とりあえず「人並みぐらいは」っていうようなイメージで、みんなやってるんじゃないかと思います。でね、この「人並みって言う基準」も、自分がいる環境次第で、いくらでも上下するわけです。

 

で、自分の居る環境の「普通」ぐらいを意識します。それが「中庸」でもあります。

普通、人並み、それらが意味するものは「マジョリティ」です。

 

自分をマジョリティに所属させたいんです。自信が無いから。不安だから。

 

でね、このマジョリティ意識っていうのは、自然に自分を守るわけです。

「みんなも、この程度だから、私も大丈夫」っていう具合にね。

 

そこで、自分が仲間だと思っている人に、いきなり自分が出来ていない結果を見せられるとね、慌てるわけです。

 

「基準はクリアしているはずなのに、上がいた」→自信のなさから来る基準の揺らぎ

「私は、普通のはずなのに、普通じゃなかったの?」→不安

「私は、ダメなほうなのか?」→疑念

「いや、私は普通のはず」→自分を肯定したい

「じゃあ、この相手が特別なんだわ」→相手の特殊性に着目

「とすれば、私は普通。相手が、普通のより上

   

「相手は、偉い」=「でも、私は、普通。」

 

ここは、だいたい三層構造になっていると思われます。

 

  • 偉い ←相手ココ
  •  :
  •  :
  • 普通 ←自分ココ
  •  :
  •  :
  • ダメ

 

でこれ、

 

  • 偉い 
  •  :
  •  :
  • 普通 ←相手ココ
  •  :
  •  :
  • ダメ ←自分ココ

 これだと、困っちゃうんです。自分、ダメの仲間に入っちゃうから。

 

だから、相手をわざわざ「上位に上げる」ことで、自分の「普通」をキープするんです。ダメでは、困ると思っているんです。本当は、何も困らないのに。 

 

 お分かりいただけたでしょうか?

つまりこれは、実は、二極構造の対立だったわけです。

 

【普通】 VS 【偉い+ダメ 連合軍】

 

で、普通:ホワイトサイドで、連合軍:ダークサイドだと思っているんです。

ダークサイドに落ちないために必死なんです。

だから、「この人は偉い」も「この人はダメ」も同じことを意味します。

 

そして、これは、マウンティングの構図でもあります。

 

あくまでも、この場合の「偉い」は相手の業績を認めているわけではなくて、

あくまでも自分の業績に、意識は向かっている事になります。

 

それが、感じられてしまう。その発言者の、自意識と自己保身がうっすらと。

そこが違和感の原因であり、不快感の源なのでは無いか・・・と私は考えています。

 

そして、こういう違和感を感じさせる発言をする人ほど「普通はつまらない」と言葉に出して言います。それなのに「私は、普通の人間だから」と変に主張したりする。そのくせ、自分の特異性について、とくとくと語ったりするので受け手は混乱することしきりです。

 

どうすれば、いいのか?

 

もしも、あなたが「偉いね」と口に出して言ってしまう場合。

これまでの説はどうだったでしょうか?

「ぜんぜん、ちがうわよ」って言うのがあれば、知りたいです。

 

で、とりあえず、正解・不正解は横に置いておいてですね、私みたいな「ひねくれた」人間もいるので、あんまり「偉い」は、控える方が良いんじゃないかなーと思います。

無用な誤解も、嫌なんじゃないかと思いまして。余計なお世話だけどさー。

 

で、代わりに

「すごいね!」に、変えてみる事を、おススメします。

すごいなら、全然、不自然じゃない。

で、なんか相手の話が自慢されているようで不快だったりして、ちょっと嫌味のひとつも込めたい場合には

「すごいですねっ。。。」

と、語尾をキツメに上げながら発音してみましょう。

少しは不快感が相手に伝わるはずなので、もうその話題も無くなるでしょう。

 

 

たとえば、コンビニ弁当買っちゃうとかさ、そんなの別にモウマンタイだよ?

高価なコンビニ弁当を買うお金、稼いでんだから、堂々として良いんだよ!

私は、多分ヴェジタリアンにもなれるくらい野菜が好きだけど、多分やらない。

なんか、少しは悪いものを体に入れるほうが、面白い人間になれるような気がするのよね。キレイなばっかりじゃ、あんま面白味なくない?笑いが減りそう。

ジャンクフードも、一ヶ月に一回くらい突然発作が来て、一度に山のように食べたりするの。すごく楽しいよ。お祭りだよ。そういうのせっかく現代に生きてるんだから、体に悪い体験もしたいよ。

 

どんなに良いことも、過剰なのが一番、結果的に良くないんじゃないかなと思う。

とはいえ、私は重度のヘヴィスモーカーなので、多分肺が真っ黒だとおもう。

それも、人生。それこそが、人生。

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