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超ホモ・サピエンス日記サテライト。

このブログはノンフィクションです。

写真。

いまや、ほとんどのスマホには超高性能のカメラが組み込まれ、簡単に美しい画像を自分の手でゲットできる時代。どんなひとでも、多少の根気さえあれば写真集が作れるくらいの道具は日常的にそろっている。

 

で、そんな時代でも。

写真というもの、その眼前に明白に在る物が

やっぱり「本物」というものを教えてくれる。

自分で撮れば撮るほど、1つの静止画像の伝えてくる

情報量の多さに、めまいがクラクラするようですねって

思うんです。だって視覚情報って、すごくね!?

 

 先日、2/20~アニリボヴィッツ姐さんの写真展が東京で開催。

世界巡回ということで、次はサンフランシスコかな…

www.ubs.com

 すごく行きたかった。田舎もんのあっしは馳せ参じられず終了~(涙)

シンガポール、香港、メキシコ、イスタンブール、フランクフルト、ニューヨーク、チューリッヒと世界中を回る行脚みたいっすよー。さて、アニー姐さんは、セレブの写真で有名です♪ 彼女のドキュメンタリー映画(2008)も良かった。

 この映画を見た時「ああ、歳をとった時にこんな顔をしていられたら、きっと幸せだな」と思ったんですよね。彼女の顔が好きです。

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/6/69/Annie_Leibovitz_%282006%29.jpg/180px-Annie_Leibovitz_%282006%29.jpg たれ目が好きだ。

私、人間って顔で判断して問題ないんじゃないかっ て思っているんです。良い・悪い・好き・嫌いは、その人それぞれだろうと思うけど、やっぱり顔って何か人間の中に入っているモノが、じわりと出てるんじゃ ないかな・・・って思う。人それぞれの経験則で判断は変わってくるとは思うけど、やっぱりなんかの精神的成分が顔って皮脂と一緒に出てるよね?出ないかな?
 https://photofocus.com/wp-content/uploads/2013/11/annie-leibovitz.jpg ほら、目とかも。
ア ニーは優しそうなのに、厳しそうで、穏やかそうなのに、子供っぽく目がキラキラしたりさ。いたずらっぽい表情を浮かべたと思ったら、聖母マリアみたくなっ たり、クルクル変わるの。この映画を撮った人はアニー姐さんの確か身内の方だと思ったけど、彼女の撮る写真だけでなく彼女自身をフィルムに納めたいと思う 気持ち、すごくよく分かった。伝わってくるもん、なんか彼女という人の「ストレイトさ」「飾らなさ」みたいなものが。
アニー・リーボヴィッツ レンズの向こうの人生 [DVD]
 

この映画で、彼女はスーザンソンタグという最愛のパートナーを癌で失った後、確か60代にも関わらず養子を二人迎えて田舎町で育ててたんだよね。私、自分が60歳超えて、果たして養子を迎えられるだろうか・・・って考えてしまいましたよ。

 
だって体力も落ちてくるだろうし、経済力だってね!自信ないなあ。
アニー姐さんなら経済力ありそーうに見えるけど、何年か前に破産して経済危機に陥ってましたよ!多分、経済観念ないね(笑)「とにかく良い物を創る」ってことしか考えてない人は、そういうとこ駄目だね!だからいいブレーンが付いてないとね。

http://cdn2-www.comingsoon.net/assets/uploads/1970/01/file_533213_penwoody.jpg

歩くフェロモン ぺねろぺ・くるす & 困ってる?うでぃ・あれん翁

http://image.slidesharecdn.com/annieleibovitzwomen-140903011131-phpapp01/95/annie-leibovitz-women-45-638.jpg?cb=1409749178

初の女性宇宙飛行士・アイリーン・コリンズ

http://image.slidesharecdn.com/annieleibovitzwomen-140903011131-phpapp01/95/annie-leibovitz-women-47-638.jpg?cb=1409749178

 レベッカ・デニスン(「WORLD」Women Organized to Respond to Life-Threatening Diseasesの略)、 は[女性の全ての脅威から身を守るため]に設立されたW.O.R.L.D,という団体の理事長で女性活動家であり【望みを決してあきらめない】というメッ セージで塗られた彼女の体と、失った友人たち(彼女の心臓の上に置かれる彼女の赤い色の手)をアニー自らがペインティングして撮ったそうです。今回の UBSはその頃から始まったアニーのライフワークともいえるプロジェクトです。
 
こちらのブログが詳しい(英語ですが)
 
自 身もレズビアンであり、パートナーであるスーザンソンタグを癌で失った彼女の活動として、あまりに説得力ありすぎる。そして「女性」を撮るだけでなく、そ の中に現れる「人間」を浮かび上がらせているとしか思えない彼女の資質が、広告カメラマンの枠を軽々と飛び越えていると私は感じる。

http://40.media.tumblr.com/tumblr_m9h30iEz0Y1r11pmvo1_400.png 毛糸・ブランシェット。

人間は、美というものに対して、一体【何を美しいと感じているか】というと、その切り取られた中に立ち現れている(つまり、なぜか我々の肉眼ではうっすらとは感じていても、はっきりと認識できていなかった)人間のある種の迫力、生き物としての個々の息遣いなんだと思う。
 http://graphics8.nytimes.com/images/2006/10/20/arts/brooklyn.450.jpg 猿ではなく、じむきゃりー
写真という形で、こんなにも明白に証拠を提示する所に、アニー姐さんの凄みを感じるんですよね。
アメリカの神々―アニー・リーボビッツ写真集

アメリカの神々―アニー・リーボビッツ写真集

 

 

東京でのインタビューで

news.madamefigaro.jp

ジョンレノン&オノヨーコについて・・・

 「ふたりと初めて会って撮影した時、私はまだ無名の存在でした。だけど、彼らはそんな私を逆に面白がってくれました。ジョンのほうがノーマルでわかりやす い人でしたね。ヨーコは独創性のある女性で、すぐに理解し合えたわけではないのですが、彼女とお互いの仕事を色々見せ合っていくうちに親しくなれたんで す。最近も彼女のカレンダーを撮影したんですよ」

すごい!ジョンの方がノーマルなんだ!なんか分かるかも。ヨーコさんの方が確かにものすごくパンクだ。それって、本当に若い頃からなんだな。お嬢様はホントこういうところが、振り切れている。

「新作はシンプルな作りで、みな同じ大きさで展示しています。マララ・ユスフザイの写真はぜひこのシリーズに入れたいと思って、先週バーミンガムで撮影し たばかり。故郷パキスタンで、わずか12歳の時に、タリバンに『あらゆる女性は教育を受ける権利がある』と抗議し殺されかけましたが、そんな彼女を教室で 撮らせてもらいました。サリー・マンの写真は、彼女が住むバージニアを訪ね、1日ずっと一緒に過ごしたときのもの。私は"その人の場所"に行って撮影する ことが、とても重要だと思っています」

 このね"その人の場所"っていうのがね、すごいなと思って。これは、私が想像するに私の言葉で言い換えますと「その人が根を張る場所」なんですよ。

 

私の大きな思想の大元にある1つなのですが、

人間っていうのは、外側は動物で、

中身の部分は、植物なんじゃないか

と仮説を立てているんです。

その根っこが生えている場所っていうのはね、そこに居るとその人はパワーとエネルギーを、諄々と受け取りながら、過ごしているんですね。

ハウルが城に帰ってくるのも、

f:id:yukisiratori:20160205125017p:plain

スカーレットオハラが、タラの土地に執着するのも

http://www.electricsheepmagazine.co.uk/features/wp-content/uploads/2011/12/review_AlterEgo_Scarlett.jpghttp://www.diaryofashocknurse.com/uploads/1/7/3/9/17394777/3329223_orig.jpg

みーんなみんあ、そこに根っこを張っちゃっているからなんじゃないか。そして、それは大きく見た時に、祖国愛だとか同胞に対する思いみたいな物を生むんじゃないか…

とかねー、考えさせられたりね・・・

ジェンダーは世界にふたつしかないわけではなく、もっと多様です。女性の役割もさまざま。累計で物事を考えるのではなく、目の前にいる人物の固有性に向き合うことが大事だと思っています。」

とかねー、やっぱり金言ポンポン飛びますよー♪

その目、完全にレンズと一体化しているのかもしれないし、なんなら脳とカメラのレンズが、直結しているのかも知れん・・・なぜなら、

「実は、1960年代に奨学金で日本に来たことがあるんです。小さい頃から写真を撮るのが好きで、1台目のカメラは日本で購入したんですよ。その時、富士 山に登ったのですが、頂上が近付くにつれてカメラがとても重く感じられて。あの時『カメラという機材は自分の一部として取り込んでいかねばならない』と学 びました」

 ええ!これは、!もしかして既に、カメラという機材が、アニーの体の一部に取り込まれちゃっているんじゃ・・・!?そうか、ロボコップみたいなもんか・・・

http://moviehole.net/img/robo2.jpg

私はウィ~ン、ガシャーンガシャーンて感じのビフォアの方が、より愛おしさもひとしおです。

 

ところで、もうひとつだけ、彼女も好き!

shelf.shop-pro.jp

 フランチェスカ・ウッドマン【 Francesca Woodman

もう遠い昔80年代に彼女は22歳でこの世を去りましたが、いまだになんと言うか、すごく迫る写真たち。

http://livedoor.blogimg.jp/talbot2011/imgs/1/9/19a275bd-s.jpg

まるで、この世から存在を消したいように移る彼女の内気さ、心の存在への揺らぎ、それがそのまま、フィルムに刻み付けたような作品が多くて、思わずひるんでしまいそうになる。

Francesca Woodman

Francesca Woodman

 

 言葉と違って、画像は国境を軽々と越える。ペインティングもそうだけど、写真というものは、人間が新しく手にした、1つのコミュニーケションでもある。

http://i.telegraph.co.uk/multimedia/archive/02227/space2_2227980c.jpg

目の前にあるものを観察し、受け取ったメッセージに対して、ある「形」として切り取り、表現する事は、対象に対するレスポンスであり、リアクションである。

http://hyperallergic.com/wp-content/uploads/2014/09/FW_UntitledProvidence.jpg

 「存在」というアクションに対して「写真」という、リアクションを返す。そして、そこにあるものとの対話が生まれる。

 

コミュニケーションというものは、実は言葉だけに限られていない。

私たちは、いつも様々に「アクション」を起こすことによって、その対面するものとの、豊かな対話をしているのだ。

そもそも「行動」の方が「言葉」よりも、より雄弁なこともある。

そして、言葉よりも行動の方が、より「心」に沿いやすい。

 

そして、素晴らしいリアクションを貰った時の、その喜びといったら・・・

どんなに言葉を尽くして、褒められた時よりも、満たされるものなのだと思う。

 

【コミュニケーション能力】という言葉を聞いた時、人は「言語能力」をすぐに思い浮かべるだろう。でもその前に、リアクションが素敵で、アクションが雄弁で、そんな誰かと共に行動するだけで、ただ同じ時間を共有するだけで、何時間も話したときよりも、満足感を得られるような。

 

そんな人の「コミュニケーション能力」の高さの方が、

より生きてる感が、マシマシなんじゃないかと思う。

 

私は写真をとって、提示する能力もないし、気の利いたリアクションも返せない。あんまり面白い事も言えないし、物真似も出来ない。楽器も上手じゃないし、ダンスも平凡で肉体表現が乏しい。ルックスも良くない。だから、自分にも出来る何かナイスなアクションが見つかれば良いなあ・・・といつも思っている。

死ぬまでに、なにか見つかるだろうか・・・希望は、捨てないぞ。

出来れば、爆笑の渦が巻き起こるようなのがイイよね、せっかくだからさ。

http://iso-labo.com/labo/images/words_of_Egashira2-50.gif こういうのが希望。

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