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超ホモ・サピエンス日記サテライト。

このブログはノンフィクションです。

シェイクスピア没後、400年。

2016年は、シェイクスピア没後、400年だそうです。

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/3/3c/CHANDOS3.jpg William Shakespeareさん。

ちなみに命日は、4月23日だそうです。しかも誕生日も同じ4月23日と言われているそうで、イングリッド・バーグマンみたいですね。*1

イギリスでは、今年はずっと【シェイクスピア祭り】が続くそうです。

www.britishcouncil.jp

国を挙げてのお祭りですよ。すごいなあ。

こういう文化に対するエネルギーって、ヨーロッパは本当にすごいと思う。

特にシェイクスピア戯曲は、ホントに物語自体の展開も一筋縄ではないから(へんてこりん)こんな風に現代でも面白いんだよなあ。絶対、シェイクスピアさんって、変わり者だと思う。いろいろと謎が多いとかも言われていますし・・・

 

それにしても、なんちゅうか、400年っていう単位がスゴイ。

遠からず、近からず。

 

ところで、私はシェイクスピアでは「リア王」に思い入れがあります。

特に、一部では諸悪の根源と呼ばれ評判の悪い末娘・コーディリア嬢の事を、時々よく考えます。なんか、すごく、こう他人事に思えない…というか…困ったな。

 シェイクスピア物については、多くの方々が様々な見解を述べられているし、古今東西研究も進んでいるので、粗筋だけチャチャッとwikiから引用させていただきます。

リア王 - Wikipedia

【あらすじ】

ブリテンの王であるリア王は、高齢のため退位するにあたり、国を3人の娘に分割し与えることにした。長女ゴネリルと次女リーガンは言葉巧みに父王を喜ばせるが、末娘コーディリアの率直な物言いに、立腹したリア王はコーディリアを勘当し、コーディリアをかばった忠臣ケント伯も追放される。コーディリアは勘当された身でフランス王妃となり、ケントは風貌を変えてリア王に再び仕える。

リア王は先の約束通り、2人の娘ゴネリルとリーガンを頼るが、裏切られて荒野をさまようことになり、次第に狂気にとりつかれていく。リア王を助けるため、コーディリアはフランス軍とともにドーバーに上陸、父との再会を果たす。だがフランス軍は敗れ、リア王とコーディリアは捕虜となる。ケントらの尽力でリア王は助け出されるが、コーディリアは獄中で殺されており、娘の遺体を抱いて現れたリアは悲しみに絶叫し世を去る。

 というわけで、4大悲劇といわれているかなり辛辣な展開の王の破滅物語ですが、ここでは「コーディリア嬢」に注目してみようと思います。

 

 冒頭で、リア王が、三人の娘たちに「私への愛情を示せ」とかいうワガママ課題を言い出すわけですよ!それで、愛情がより強くアピールできた者に「より多くの領地を与えよう」という意地悪試練を与えようとするんですね。

上の2人の姉さんたちは、物語的に悪役を与えられているので、いわゆる歯の浮くような美辞麗句を並べ立て、父親であるモウロク爺さんリア王に「あの手この手で、目一杯てんこ盛りの愛情」を表現するわけです。

んで、お父さんリア王は大変満足して、それぞれに順当な領地を与えるわけです。

 

末娘のコーディリア嬢は、前提として【心根の優しく、正直で誠実な女性】です。元々リア王も、三人の娘の中で一番可愛がっているんですね。溺愛していると言っても過言ではない。そんな娘のスピーチを、ワクワクしながら待ってるパパ・リア王

 

で、末娘のコーディリア嬢は、自分の番になった時

「わたくしって、正直なものですから・・・」

「お世辞は言えませんわ」

とか言っちゃって、ほとんどアピールしない。というか、出来ない。

 

ここでは、欲得ずくで美辞麗句を並べる姉たちへの批判精神だとか、父親に対する愛情は深すぎて、言葉ではとても表現できないとか、もちろん、そういうコー ディリア嬢のいいたい部分はよくよく理解できるような感じになってます。愛情と言う無償の想いを試そうという父親への批判とも取れる。物語的に「コーディ リア嬢は正直なので・・・」みたいな流れではあるんですけど・・・

 

私、これ確か5,6歳の頃読んだんですけど、少年少女向け世界名作全集かなんかだったと思うから、子供向けに要約された説明つきの文章だったと思う。だから分かりやすくコーディリアびいきに書いてあるし、「どうしてコーディリアはこう言うのか」にも共感できるような文章表現になっていたはず。にもかかわらず、頭に浮かんだ事は大人になっても変わらない教訓となった。

 

「嘘つきは、泥棒の始まり」

そして

「必要な時には嘘もつかないと、コーディリアの始まり」

 

この2つは、対である。

 

コーディリア嬢は、確かに真性の正直者だし若いし、そんな形で自分の父親への真摯な愛情を飾り立てる事で、本当の純粋な愛情が汚されるような気がしたんだと思う。

そりゃあ、わたしだって、嘘つくの嫌いだから分かるよ!

嫌いっちゅうか、嘘つくのって面倒くさいじゃん。

整合性とか考えなくっちゃいけないしさ。疲れんじゃん。

第一、心からの想いだからこそ、なるべく純粋な、美しいままで差し出したい。

余計な手を加えて、台無しにしたくない。

でもさ。

もともと姉さんたちが結構性悪とか、お父ちゃんがちょっと意固地で単純とか、いくら若くても薄々分かんだろ、そんなの。幼児じゃあるまいし。

その後、すぐ嫁に行ける位の成長したオナゴなんだから。

「こうやったら、ああなる脳」が働かないんだとしたら、

コーディリア嬢はどんなに心根が優しくても、あたま悪いだろ。

 

だしさ、そんなお父さんに本当に愛情があるんなら、表面的にも「お父さん、大好き」アピールをして形にしてあげるって言うのも、大事な事なんじゃないかと思います。

 

「私の心の中には、ゆるぎない愛情が・・・」って言ったって

結局「言葉にしてもらって初めて、嬉しい事もある」んじゃないすかね!

 

実際、この世の中の沢山の場面で

「本当のことを、言わない優しさ」

やら

「だまされてあげる愛情」

やらが想像以上に、溢れているような気がします。

それに、嘘だとわかっていても嬉しいとかね、そういうのもあるしね。

 

だから

「嘘つきは、泥棒の始まり」

だけど、同時に

「必要な時には嘘もつかないと、コーディリアの始まり」

はセットで、教訓になるもんじゃないかと思います。

 

で、これは【状況と最終目標】によって、その都度その都度どちらを適用すべきなのか、判断を下さなくてはいけない。けっこう大変ね・・・

 

コーディリア嬢なんかはもともと心が優しく誠実なのだから、仮にその上に高い人間性も兼ね備えた人物であったならば…もしも頭の回転も速く、大儀のためなら機転を利かせて、嘘のようなホントの様な言い回しで上手に立ち振舞っていたら…

 

ブ リテン王国には、ここまでの悲劇は訪れなかったのではないかと思いますよねぇ…やっぱり。トータルでみんな救われたかもしんない。だって、姉さん2人だっ て、ほぼボロボロだし、後継者もはっきりしないまま、主だった登場人物たちは、めちゃめちゃ悲惨だし。こんなガタガタになっちゃった国、速攻で他国に攻め 込まれて占領されてますよ、スキ在り!ですよ。国民は大迷惑ですよ。

 

まあ、そこのあたりがやっぱり壮大な、シェイクスピア の物語戯曲の凄みであり、一人の人間の中に納まるドラマじゃないですよね…もっと大きな枠組みの話だと思う。まあ、大人になると見方も変わりますが、子供 の頃は「馬鹿正直は、時に罪だわ…」と深く心に思った。だからその後、気をつけるようにしようと思った。なぜなら、私も「馬鹿」なので「正直に口にして」 しまったりして「国が滅亡」しそうになるかも!!!と危機感を、今なお失っていない(国なんて無いけど)

 

とはいえ、結構いまでもね、空気読まずに「つい、正直に」話しちゃったりしてね、そんで超、空気が凍ったりとかね「お~ま~え~!!!」とか言われんのは、よくあります。

もうね、常習犯です。実は、ちょっとアスペ傾向がありますんでね、私。

 

でね、そういう時はね、とにかく、一秒でも早く

「ごめんなさい」と謝る事です。

本当に、本気で、真剣に(笑)

間違えました!

誠心誠意すぐに謝って、 悪気は無い事も、きちんと表現する。

 

で、そうすると意外に「その空気を読まない発言」が、その場のブレイクスルーみたいになって逆に風通しが良くなったりする事も、たまにある。場の緊張感がほぐれたりさ。悪いばかりじゃないんだよ。まあ、運が良ければ。

 

リア王とコーディリア嬢は、やっぱり親子でよく似て居たんだと思います。意地を張る所が双方にある。そっくり。で、それがゆえ、やはり愛情も深かったんだと思うんですけれども、お互いの命あっての愛情でもあるから、やっぱり先々の予測を考えて、自分の次の一歩、アクションについては、たまには慎重に行きたいっス。

 

とはいえ、これは私の完全な個人的読後感想なので「お前は全然、シェイクスピアを理解していない!」と言われたら、全くその通りでございます。

www.eurasia.co.jp

楽しそうだなぁ・・・行きたいなぁ。

「すとらとふぉーど・あぽん・えいぼん」って響き、いいですよね…

何度も連呼しちゃう。うつくしいなあ。
www.aoyama.ac.jp

 シェイクスピアは、物語自体の原型がはっきりしていない(文献としての物的証拠が曖昧)だからこそ、個々の読み手や時代背景によって、とても感想や読後感が違うし、そこがやっぱり面白いんじゃないかな。時が経っても、普遍的な面白さがある。解釈しても解釈しても、立ち倒れない骨のある物語なんだろうと、改めてやっぱり思う。

*1:1915年8/29生&1982年8/29没 イングリッド・バーグマン - Wikipedia 

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