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超ホモ・サピエンス日記サテライト。

このブログはノンフィクションです。

正義の敵は、悪じゃない。

もう半年以上でしょうか・・・身近に、ご近所トラブルの様な

まあちょっと距離がありつつも、トラブルが存在していて・・・

 

鎮火したり、大騒ぎになったりを繰り返しながら、

綱引きの綱が、ずっと左右に動いている感じの…件がある。

強く正義を主張する人(集団)が居て、その主張をずっと目にしていて、

本当に、ものすごく、ものすごおおおく、疲れたんですけれど。

 

まあ、でも仕方がないと言うか、将来的な解決のために

その事について、ずっと考えて続けて来たんですけれども。

(注:私は第三者の立場です)

http://www.comicmultiverse.net/wp-content/uploads/2015/03/joker-vs-batman.png 分かりやすい、悪vs正義。

http://cdn.fansided.com/wp-content/blogs.dir/319/files/2015/05/IMAG0161.jpg 分かりにくい、親子。

 

【正義】って、私は映画とかドラマとかすごく好きですけど

基本的には【正義】VS【悪】と言う構図ですよね。

まあ最近は、色々そのあたりの構図も、エンターテイメントの世界は変化してきたなあって感じはありますけど。単純な図式じゃなくなっている。

分かりやすい悪じゃなくて、とか、対立側の視点も分からなくもないとか。

 

 でも、基本的には、映画やドラマにおいて

「正義の味方は、正しい存在。悪は、世界に罪悪を為す存在」

って言う事になっていると思います。

 

でもね、私は思うんですけど、現実の中に於いては

正義 ⇔ 不義

だと思うんです。決して、正義の反対は、悪じゃないと思うんですよ。

 

これは【不義密通】の「不義」ですね。

「裏切り」とか、「義に悖る」とか、そういう「愚行」に近い意味です。

ふぎ【不義】の意味 - goo国語辞書

ふ‐ぎ【不義】

  • 1 :人として守るべき道にはずれること。また、その行い。
  • 2 :男女が道に背いた関係を結ぶこと。密通。「―をはたらく」
  • 3 :律の八虐の一。師や長官などを殺すこと。

 

でね、

悪 ⇔ 善 なんです。

 

で、ここではね、複雑な心理が働いていると思うんですけど

相手を「悪だ!」と、糾弾するときにはね、単純に考えると、自分は、自動的に「善」になっちゃうわけですよ。だって、対立しているわけですから、その逆の立場でしょう・・・!?

 

でもね「私は善です」って言う人がいたら、誰でも違和感を持ちますよね!?

神じゃないんだからさ。たぶん、人間が「私は善です」って言ったら

「偽善者!」って言われますよね。真偽はともかく、なんとなく。

だって人間なんだからさぁ!ってのが、誰にでも、うっすら感覚としてある。

 

でね、そういったことを回避するのにはね、

正義 VS 悪

という構図は、丁度とっても都合がいいんですよ。ものすごく。

 

弱者 VS 悪

でもいいんですけれどもね。でもこの場合の弱者は、やっぱりどこかに自分たちの正当性を主張しているんじゃないかと思います。

 

で、その正義を主張する本人たちは、自分たちが

正義 VS 悪

という図式に本当に見えていて、本気で相手が悪に見えているんだとは分かるんです。そういう風に、感じるから。その「正義サイド」の方々を見てるとね。本気で、敵方を、【悪の権化】だと感じているんだろうなあ…と。

 

でもね、この戦い(というか攻防)を眺めている第三者にはね、

不義を、攻め立てているように、見えちゃいます。

これはね、どうしても、そう見えちゃうんですね。

 

例えば、浮気した恋人を、なじっている様な感じとか

自分を裏切った仲間に、恨みつらみをぶつけている様な感じとか

そういう「復讐」とか「仕返し」とか、そういう種類の印象。

 

非常に感情的というか、情念的に感じられる。

そして、イジメ的な感じとか、嫌がらせ的な感じとか

空気感がそのうち生まれてくるんです。不思議なことに。

 

で、実際【差別】とか【虐め】っていうものは、たぶんそういう構図を孕んでいるんじゃないかと思います。どうしても、あるひとつの立場を正当に規定すると、そこからはみ出た物を、断罪するようになるからじゃないかなあ・・とか、ちょっとそこの部分の推察は私には難しいんですけど。

 

【差別】をする方の側には「正しい」っていう感じの印象を感じるんですよね。「自分たちは正しい」みたいな。どことなく、感じるものがある。かもし出されるって感じなので、この点がこう…とはっきり表現できないんですけれども。

 

で、かといって「悪」側に置かれた人たちだって、別に被害者とかじゃないんですよ。確かに攻撃されうる過去の失点があるから、指摘されちゃう。理由はあるんですけど、ただね、どっちも普通の人間。

どっちにも、欠点だって汚点だってあるし、逆にイイ所もありますよね。それは、どっちも。双方にさ。第三者には、どっちも見えるからさ、両方のイイとこもワルイとこもさ。

 

でね、冒頭に戻ると「不義」を攻め立てている場合っていうののね。

じゃあ、決着がつく地点というか、最終的な終着点がなんだろう?って考えたときには、結局「気持ちが済むかどうか」になっちゃうと思うんですよね…

 

「不義」っていうのは、もともと、そういうもんです。

 

で、ココが悲しいのは、

・正義サイドに立っている人は、相手が悪だと思っているのに、

・周囲には、正義サイドが、不義サイドを、なじっているように見えている

・んで、不義サイドは、そもそも不義をするようなヒトなんだから

 あんまり正義サイドの話を聞かない、もしくは平行線。

みたいな状況になりやすくて、誰もがワケ分からんまま、攻防とか中傷だけが長い時間続くんですよね。たぶん良くある事なんでしょうけれども、しょっちゅう、そういう状況で何年もくすぶり続けたり、する。

 

それがね・・・なんというか傍で見てる分には、やるせないです、正直。

 

正義の人は、かなりの確率で【自分の「憤り」や「怒り」を周囲に(自分が思うほどは)理解してもらえない】し、不義の人は、結構、【何でそんなに、悪呼ばわりされるのか、さっぱり分かっていない】ように見えます。

 

私は、別に本人たちがわちゃわちゃしたいなら別に構わないんですけれど、端で見ている分には、ちょっと疲れると言うか・・・うう~んと、気を使いますね。そのたびに応援を要請されてもね、こちらも忙しい身です(そう見えなくても!)

 

出来れば「正義の人」は、なるべく明確なゴールを分かりやすく設定して、

もっと正確に朗らかにアピールして頂けると、助かるんですけど。

 

【結論が、ココまで行けば、満足です!】みたいな物を。

 

周りは「何時になったら、気が済んでくれるんだろう」

「どういう風になったら、気が済んでくれるんだろう」

って、結構、悩んでる(かもしれない・・・)

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